僕の人生を変えたフィードバック

以前、僕が社会人人生で受けた、苦くて痛いフィードバックについて書きました。

 

〜サイコーに効いたフィードバックの話〜

 

①「それ、僕がその人に言ったら、中村くん困るよね」
https://blog.colorkrew.com/feedback_01/
② 「お前のこと信用できなくなったってチームのみんなが言ってる」
https://blog.colorkrew.com/feedback_02/
③(最終回)「オレ、オマエとは仕事したくないわ」
https://blog.colorkrew.com/feedback_03/

 

痛いやつを書いたので、そのうちポジティブなやつも書きます!と言って、はや1年半。
思い出したので、ようやく書こうと思いキーボードに向かっています。

 

ポジティブなフィードバックで、僕の人生を変えてくれた恩人Iさん

 

Iさんは、歳は僕のちょうど一回り上。
新入社員のころから40代まで、多くの期間で僕の上司でした。

 

上から見て扱いづらかった僕を、若手時代から、叱ったり、なだめたり、励ましてくれたりしながら、粘り強く付きあい続けてくれました。

 

社会人人生で、僕が感謝している恩人はたくさんいるのですが、その中で一番の恩人を挙げろと言われたら、間違いなくIさんになります。

 

上司部下を押しつけない、人としてのスタンスを学んだ20代

 

Iさんは、簡単に言えば人格者でした。

 

大先輩であり、上司でありながら、威張ったところは一つもありませんでした。
当時の会社は、タテの関係は絶対でしたから、先輩後輩の関係で、理不尽なことも数多く経験しましたが、Iさんとの関係でそう思ったことは、いまだかつて一度もありません。

 

飲みにいけば100%奢ってもらっていました。僕が仕事について生意気に語っても、包み込むように聞いてくれる、僕にとって安心感のかたまりみたいな存在でした。
ちなみに、一回彼がトイレに行っている間に勘定を払ったら、とても怒られました。
「オレに返すな、後輩に返せ」

 

「こういうスタンスで、人に接するオトナになりたい」と僕の目標になった人でもあります。

 

そんな彼が、与えてくれた、”自信がなかった僕に力を与えてくれたフィードバック”を3つ紹介したいと思います。

 

フィードバック①「オマエの周りには人が集まってる」

 

20代の頃、同じ部門の4つ上の先輩で、とても慕っていた人がいました。
その人は、みんなの人気者で、僕もよく飲みに連れていってもらっていました。

 

いつも、僕がどんなに生意気なこと言っても、ニコニコしながら、オトナの助言を僕にしてくれる人でした。

 

その人と付きあえば付きあうほど、僕は徐々に劣等感を抱くようになりました。
その人は、柔らかいだけでなく、きちんと厳しいことも言うし、それでいてパワハラめいたことも全くなく、男前。

 

自然と人気者になり、いつも周りに人が集まってくる人でした。

 

比べて自分は、一部仲のいい人はいるものの一部の先輩からは猛烈に嫌われてましたし、社内における存在感は、その人とは全く違うものでした。

 

ひねくれている僕は、素直にうらやましいとは思いたくなかったのですが、あるとき酔っぱらった勢いを借りて、Iさんに「先輩がうらやましい。あんなに男前で、あんなにみんなに人気があって、人が集まってくる。あの人は太陽みたいな人だ」と打ち明けました。

 

Iさんは、しばらく黙って僕の話を聞いたあと「オマエの周りには人が集まってるよ」と言いました。
僕はあまり意味がわからず「そんなことありません!」と言い返しました。

 

Iさんはこう言いました。
「確かに、社内でアイツは人気者だろう。俺もアイツは大好きだ。でも社内だけでなく、社外も見てみろ。オレたちが一緒に仕事をしている社外の人たちは、みんなオマエが好きだよ。そのおかげで、オレたちの部署は、彼らといい関係が築けている。オマエは人気者だよ。社内と社外という違いはあるかもしれないが、オマエの周りに人が集まっているということは事実だよ」

 

なるほど・・

 

Iさんは続けます。
「ちなみに、オレもオマエの周りに集まっている一人だ」

 

この発言ほど、いままでの人生の中で、僕を勇気づけてくれた言葉はありません。
後輩にこの台詞を言ってやれる人は、きっと多くないのではないでしょうか。

 

ちなみに、単純な僕は、このIさんからのフィードバックが心の支えになり、それ以降この問題についてクヨクヨ悩むことはなくなりました。

 

フィードバック②「自信を持って話せ。オマエの英語の方がパワフルだ」

 

Iさんは、駐在経験があり、英語がペラペラでした。
一方20代の僕は、英語は全く聞き取れないし、全く喋れませんでした。

 

当時、僕たちはアメリカの会社の製品を、日本の国内で売るというビジネスをやっていました。
ごく稀にアメリカから幹部の人たちが来るのですが、僕はこれが苦痛でした。

 

僕は、営業の最前線にいて、本来であれば、交渉したりコミュニケーションをしなければいけない立場なのですが、英語がダメなので、いつも事前に上司のIさんに想定問答や、言って欲しいことをインプットして、1、2年やり過ごしていました。

 

そんなことが続いた後、いつものような表敬訪問とは違い、僕ら側からもいろいろ伝えたいことと、交渉しなければならないときが来ました。

 

突然、僕はこう言われました。
「今日はオレ話さないから、オマエが全部話せ」

 

なぬっ!?

 

「いや、無理ですよ。知ってるじゃないですが、僕がどれほど英語がダメかを」

 

Iさんは言いました。
「オレがいくらうまく英語で色々説明しようが、現場で本当の苦労をしてお客さんの考え方を知っているお前が話すのとでは、言葉のパワーが違う。お前が話してみろ」

 

「いや、でもホント話せないんです。知ってるじゃないですか」

 

Iさん「要点を話せ。ぶち切れでも構わない。しっかりと文章になってなくてもいいから説明をまずしろ。その上で、この条件だったら”I buy it だ !”くらい言えばいい」

 

I buy it くらいなら言えるな、と思いました。
ついでに I don’t buy itも言えるぞと。

 

やってみました。つたない英語を一生懸命話しました。

 

意外にも、ミーティングに参加した人たちは僕がしゃべる英語を真剣に聞いてくれました。いま考えれば僕の言葉は、彼らにとってはお客さんの言葉だったのですから当然と言えば当然なのですが、僕にとっては、つたない英語でも、なんとかなるという経験は新鮮で衝撃的でした。

 

この後の僕は、英語に関してのそれまであった羞恥心がなくなり、開き直って海外から来た人とも話すようになったのです。

 

フィードバック③「カラクルは大丈夫だよ」

 

これも、結構情けない話です。

 

カラクルに来て2年目の2011年。既に40歳ですね。
相変わらず業績の悪かったカラクル。既に50ヶ月を超えて連続経常赤字という不名誉な記録を更新中でした。

 

そんなとき、親会社の経営企画からレッドカードなるものが出されました。
毎月毎月、色々な資料の提出を要求され、あと1年ダメだったら本当に精算されるぞ、みたいなことを、会社の先輩から吹き込まれたりしていた僕は、疲弊していました。

 

そんなあるとき、古巣の先輩とのみにいく機会があり、その先輩は酔っ払って、会社の社長やら取締役やら、自分の知っている偉い人たちに電話をかけまくるという、わけのわからないことをやりだしました。後輩の僕らは「おいおいヤメてくれよ」と思って見ていました。

 

夜11時くらいだったので、幸い誰も電話に出てはくれませんでした。笑

 

その流れで、先輩はIさんにも電話をかけました。
「どうした?」と聞かれた先輩は「あ、中村がなんか話したいことあるらしいっす」と僕に携帯を渡しました。

 

そのとき、Iさんは、カラクルにとって本社側の主幹部署の部長でした。
おいっ先輩!と思いましたが、ともかく電話に出た僕は、疲弊してたこともあって「いろいろご迷惑おかけしてます。すいません」と反射的に謝っていました。

 

Iさんは「いまのカラクルの状態はオマエのせいじゃないし、カラクルは大丈夫だよ」とだけ、優しい声でシンプルに言いました。
情けないやら、ありがたいやら、なんだか悲しいやらで、言葉がでなくなった僕は、そのまま携帯を先輩に返しました・・・

 

とても不思議なことではありましたが、その言葉を聞いた僕は、次の日からなぜか元気を取り戻しました。なんの根拠もありませんでしたが、Iさんが「大丈夫だよ」と言ってくれたので、なんだか大丈夫な気がしただけだったと思います。

 

本当はどうだったのかわかりませんが、その後半年くらいで、カラクルは運にも支えられ、V字回復して黒字化しました。

 

書き終わって読み返すと、これはフィードバックというよりコーチングの話だったかも知れません。
そして、自分の単細胞ぶりを再確認しました。笑

 

フィードバックとコーチングは紙一重、ということでご容赦いただければと思います。

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