サイコーに効いたフィードバックの話② 〜お前のこと信用できなくなったってチームのみんなが言ってる

成長のカギはフィードバック
前回に引き続き、僕が受けて最高に効いたフィードバックを紹介します。

▼前回の話はコチラ
サイコーに効いたフィードバックの話①〜それ、僕がその人に言ったら、中村くん困るよね

今回も苦くて痛いやつです。笑

ドイツでの新会社設立

2004年(33歳)から2010年(39歳)までの6年半、ドイツに駐在していました。

豊田通商ヨーロッパという数千人いる大きな支社の、ドイツ支店の、さらに一部門に赴任。
20人程度の部門で、部門長はドイツ人。ラインに乗らないポジションでした。
役職は”シニアコーディネーター”

若造なのにタイトルはシニアだし、ラインに乗ってないわりには、業績の悪いときに責められるのは自分。
なんだかよくわからないまま、活動は始まりました。

業界がわからない。ヨーロッパのこともわからない。英語もうまく話せない。
そしてアジア人だからなのか微妙な差別を感じる日々。四重苦からのスタートでした。

特に”差別”に関しては、ここで社会人として厳しい環境を体験し、みんなに馬鹿にされている状況からの必死の脱却を経て、1年後くらいにはいい感じでチームの一員になることができました。
(ここら辺の経験に関して、もし興味ある方いればそのうち書きたいと思ってます)

そして、赴任から2年後の35歳のとき、豊田通商ヨーロッパから、僕のいた20人程度の部署を切り離して新会社を立ち上げることになりました。

ちなみに、この会社の立ち上げ直前に起こったことを過去書いていますので興味のあるかたは読んでみてください。

▼経営者にとって最も大切なコト

調子良かった新会社設立からの3年間

新会社の立ち上げ当初。

今度は組織のトップになりました。
それまでの2年間、下積みの役割で築いてきたチームとの信頼関係もあり、滑り出し好調。

自分たちのチームが原因で大きな品質問題を起こしたときも、僕が矢面に立ってその問題を解決することができました。

そうしていくうち、チームからの信頼は高まり、求心力が出てきたという手応えを感じていました。

数年前の「何にもわからず、英語も下手くそで、全く役に立たないやつ」から、みんなが僕のことを受け入れてくれて、さらに自分たちのボスだとしっかり認めてくれている状態へ。

そんな感覚がとても嬉しかったことを今でも思い出せます。

モノ足りない!!

好事魔多し。
最高益を記録した2008年の出来事です。

ビジネスが調子いいときほど、なにか物足りなさを感じ始める癖のある僕に、その事件は起こりました。

業績絶好調の一方で、僕は会社の未来に強い危機感を感じていました。
いまの延長線上ではきっとまたダメになっていってしまう。そんな危機感に苛まれていました。

「調子のいいこの時期に、新しい事業を始めなければ」そう思い、いつもそんな話をしていました。

自分でも、国内外飛び回って、タネを探し、チームに色々な新ビジネスの提案をしていました。
でもチームのみんなは「うまくいっているんだからいいじゃないか」というスタンス。

僕のフラストレーションはどんどん溜まっていきました。

フラストレーションが爆発した日

そんな中、マネージャーたち5〜6人が集まって、今後の戦略を検討するミーティングが開かれました。

そこでの議論は、僕からみると、現状を大きく変えるものではありませんでした。
日頃感じていたチームに対してのフラストレーションは、マックスになりました。

常に攻撃的だった20代に比べて、コミュニケーションに気をつけることができるようになったと自負していた僕は、言葉を選んで、みんなを鼓舞するような問いかけをしました。

自分たちのビジネスは、現状あるものをただ続けていくだけでは、早晩ダメになってしまう可能性が高いと思っていること。
そうなりたくなかったら、新しい事業をつくるという、挑戦に立ち向かわなければならないこと。そのためにはみんなのマインドセットを変えてもらいたいこと。

やる前は難しそうに見えることでも、やってみたら景色が変わるし、意外と”案ずるより産むが易し”だった僕自身の過去の経験も話しました。

きっとそのときの僕は、みんなを説得したかったのだと思います。
ときには結構強い口調になっていたかもしれません。

ベースには、それまでの4年間を通じて「チームから絶大な信頼を得ている」という自信があったので、少しくらい強い口調で言っても大丈夫だろうと考えていました。

「あれ、おかしいぞ」

そのミーティングで、マネージャーたちの反応はゼロでした。

いつもは、シリアスなことでも、フレンドリーに冗談を言い合いながら話しているチームなのに、シーンとしていました。

「あれおかしいな」

ミーティングは不調に終わります。

その後1週間くらい、僕と彼らのギクシャクは続きました。
業務に関係すること以外、誰も話しかけてこない。明らかにおかしい。

ここまできても、僕は自分が大失敗したことは気づいていませんでした。

「きっと現状を認識してショックだったんだろう」と考えていました。

メンター登場

1週間ほどして、普段リモート勤務している僕のメンターから、「今日夕食にいこう」と突然誘われました。

メンターは、組織上は僕の部下で、営業の責任者のベルギー人。
部下なのにメンターとはどういうこと!?と思われるかもしれませんが、話すと長くなるので、今回はその話は省略します。

さて、夕食に誘われた僕。

そのメンターは、「プロフェッショナルであること」を常に大切にし、そのためには酒が入る会食は会社のメンバーとは基本しないという考え方。

僕は、会社のメンバーとよく飲みに行って、グダグダになるまで酔っ払っていることをよく注意されていました。(この件に関しては、僕は最後まで彼の意見を取り入れませんでしたが)

そんな彼に夕食に誘われるとは…

僕が彼と二人で夕食にいったのは、それまでの4年間で2回。
1回目は、彼がチームに合流した日で、最後は僕が新会社立ち上げの前に、前部門長と揉めて僕から相談したとき。

嫌な予感しかありません

夕食でのフィードバック

レストランに到着し、飲み物を頼んで待っているとき、彼はカバンから手書きの文字がビッシリ書かれたA4の紙を数枚取り出し、僕にこう言いました。

「先日のミーティングの後、各メンバーとそれぞれ話した。これからオレはKeijiにフィードバックする。Keijiにとって嫌なフィードバックだと思う。きっと途中で反論したくなるだろうが、30分黙ってオレの話を聞いてくれると約束してくれないか。」

30分、黙って聞いていられる気がしない気もしましたが、とりあえずNOとも言えず、「わかった」と僕は言います。

飲み物が来て乾杯をすると、彼は話しだしました。

前回のミーティング。
僕のメッセージに対して、チームが理解した内容と、その反応(感想)は以下のようなものでした。

(僕)うちの会社は、いま業績はいいけれど、僕たちの会社は未来に向けて危機的な状況にある。
だから、調子のいいいまこそ挑戦していかなければならない。でも自分たちはいまのところ全く新しいことをやってない。

(チーム)まあ、言ってることはわからんでもないけど、過去頑張ってここまでの業績まで上げてきて、いまこんなに調子いいのにその認識は厳しすぎるのでは。

(僕)オレだって過去、新しいことに沢山挑戦してきたし、なんとか成功することもできた。いまだってみんなで粘って頑張ればきっとオレたちは成功できる。

(チーム)自分はできたのに、お前たちはできていないと言っているのか。

(僕)挑戦するマインドがなければ、この会社にいる資格はない。そういう風なカルチャーにしていきたい。

(チーム)業界知識ゼロ。ヨーロッパのことを全く知らず、英語も大して喋れない。
マネジメント経験も全くできなかったお前をオレたちは育ててきた。
数年経って、自分が成長して、いろいろできるようになったら、今度はオレたちを捨てようとしてるのか。思い上がりで恩知らずだ。

ちなみに、フィードバックを受けている約30分、我慢しきれずに口を挟もうとする度に、「約束したよな」と黙らされました。辛かった〜(笑)

自己認識との差

これらのフィードバックを受けて、僕はかなりショックを受けました。

それまでみんなが公私に渡ってサポートしてくれたことに感謝こそすれ、みんなのことを、下に見て話しているつもりは全くなかったのに、みんなからはそう見えてなかったようです。

僕はメンターに聞きました。

「あなたもそう思ったの?」

彼は「いままでのKeijiを見てきて”そんな意味で言うはずはない”とは思った。でも、みんながこういう風に受け止めてて、そう思って考えると、そういう風に聞こえるような気もした」

言葉というのは重要ですね。
みんなにハッパをかけるつもりで、ちょっと強めに話したことも逆効果だった。

「きついフィードバックだったかもしれない。でもこれすら今までの関係がなかったら、伝えることすらできなかった」と彼は言ってくれたことは救いでした。

落ち込みながら、僕はメンターに感謝の気持ちを伝え、これからどうしたらいいか相談しました。

「一人一人と個別に話すべきだ。誤解を解き、謝るべきことがあれば謝り、関係を元に戻すしかない」と、彼は言いました。

その後

その会社は、半分以上の人は基本リモートワークでした。コミュニケーションは基本スカイプと電話。
いま考えると先進的だったのですが、このときは困りました。

この手の1対1は電話ではやりづらいので、結局オフィスに来るタイミングで一人一人捕まえて話すしかない。

1ヶ月くらいかけて、誤解を与えたことを謝り、再度丁寧に想いをきちんと説明をしたことで、みんなに僕の真意も理解してもらうことができました。

僕にとっては痛みを感じるレッスンでしたが、関係も修復され、お互いに対する理解も、これを機会に深まったことはチームにとって収穫だったと思います。

30代駐在時代の、痛くて苦いフィードバック、いかがでしたでしょうか。
次回以降どこかでポジティブなフィードバックも書きたいと思います。(続く)

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▼サイコーに効いたフィードバックの話③

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サイコーに効いたフィードバックの話② 〜お前のこと信用できなくなったってチームのみんなが言ってる

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