吉田、ISAOを辞めるってよ
この度、ビジネスコミュニケーションサービス「Goalous」のリードエンジニアである私吉田将之は今年いっぱいをもちましてISAOを退職することとなりました。
控えめに言ってとても良い会社でしたが、学生の頃から思い描いていた挑戦の為にISAOを飛び出します!
退職エントリー記事はISAOでは初めてとのことです。 記事を書く経緯は、自分の退職が非常にポジティブな理由であり社内でもオープンに説明をした後、広報から退職エントリー記事執筆のリクエストがあったのがきっかけです。
なぜ辞めるのか、ISAOに入社し何を学びどのように成長したのか、Nextチャレンジについて語っていきます。
なぜ辞めるのか
教育・福祉業界で技術のアプローチによる変革に挑戦する為です。 実は大学時代に社会福祉を専攻していて、その頃から「旧態然としたこの業界の悪循環を改善するためにはITによるアプローチが必ず必要になる」と考えていました。 ただ当時はIT音痴でそもそも具体的な構想を描く為の知識・技術は全く無かったので、まずはエンジニアとして様々な現場で知識・技術を磨くことにしました。 これまでの社会人経験の中で特にISAOでは人間としてもエンジニアとしても成長し土壌が出来たので、将来いつか自分がやりたかったことを「今」挑戦すべきだという思いに駆られ転職を決意しました。
ISAOへの入社
ISAOに入社したのは2016年夏。 入社した理由はISAOの特徴である「バリフラット」というとてもフラットな組織のあり方に惹かれたこと、またMVS(ミッション・ビジョン・スピリッツ)への共感が挙げられます。 将来もし会社の組織づくりを行う際にフラットな組織を経験しておくことは貴重な糧になると思ったのです。
ただ最後入社を決意したのは代表の中村圭志さんのおかげです。 最終面接で圭志さんともう一人の面接官とひとしきり話した後、逆質問で「MVSの研修があると伺ったのですが、具体的にどのようなものですか?」と質問をしました。 すると圭志さんはすっと立ち上がり、「じゃあ今から実際に行いますね」と言いそこから何と30分以上も掛けて実際のMVS研修が実施されました。 (もう一人の面接官は巻き込まれると思ったのか始まる前に退室していました苦笑)
僕は圭志さんの良い意味での「ヤバさ」そして「情熱」に惹かれました。 というのも、仕事をする上で最も重要な要素の一つが「情熱」だと考えています。 なぜならそれが無ければ周りの人を巻き込んで大事を成し遂げることは出来ないからです。 人を一つの方向に向かわせる為の原動力は利と情熱両方が必要であり、圭志さんに自分の考えと近しいものを感じました。
ISAOで何を遂げたか 〜学び・成長〜
入社後、組織の目標進捗を共有できるビジネスコミュニケーションサービス「Goalous」開発にコアメンバーの一人として参画しました。 しかし参画時には、既にGoalousのアプリケーションは非常にレガシーな状態でした。 ただ機能開発を優先せざるを得なかったので時間を絞り出し、安定性と拡張性を高くする為の仕組みを随時導入したり、パフォーマンス改善やコードリファクタリングを実施しました。 レガシーなフレームワークで不本意ながらもとことん頑張ってみた
事件は起こった
そうして入社から約1年が過ぎた時、大きな転機が訪れます。 当時のGoalous開発のリードエンジニアが他プロジェクトに転属することが決定し、リードエンジニア後任として僕が務めることになりました。
それだけに留まりません。
ほぼ同じタイミングでそれまで日本人だけだった開発チームに、日本語を全く話せないアメリカ人エンジニアの参画が決まりました。 僕達にとってまさにそれは「襲来」と言ってもいい事態でした。 なぜなら開発チームの中に英語をまともに話せるメンバーが一人もいなかったからです。 しかしアメリカ人エンジニアを日本語のコミュニケーションで置いてけぼりにすることは出来ません。 チーム内でコミュニケーションについてどうするか話し合い、最終的にチャットや全員でのMTG等ほとんどを英語に変更しようと決断しました。
当時の回顧については採用サイトにも記載されていますのでご覧下さい。 https://recruit.isao.co.jp/engineering/
一つ言っておきたいのは普通の企業ではこの事態はあり得ません。 なぜなら英語を話せない開発チームに日本語を全く話せないエンジニアを放り込んだら開発効率が著しく落ちるのは明らかだからです。 が、ISAOには世界で通用する為にグローバルな人材が必要であるという方針があります。 つまりは将来的に社員全体が英語で仕事が出来なければなりません。 その将来に向けた実験の一つとしてGoalous開発にアメリカ人エンジニアを参画させることが決定しました。 またほぼ同時期にブラジル人エンジニアも加わり、一気に国際色豊かになりました。
当時を振り返ってみると、英語でのコミュニケーションがかなり辛かったのを覚えています。 加えて日本人と外国人で考え方が違うことにも戸惑いました。
しかしそれが結果的に自分を大きく成長させてくれた要因でもあったのです。 当時の僕は開発について頑固な面があり、外国人エンジニア達の反発を招く時もありました。 このままではいけないと思い、他人の考えを否定から始めるのではなく多様性を認めることを意識するようになりました。 そうすると状況は少しずつ好転し、メンバーの方から「こういうコードはどうですか」「開発を**のように改善したいです」という積極性が徐々に生まれ始めました。 その時になって気づいたのです。開発において積極性が大事だとメンバーに謳っておきながらその積極性を阻害していたのは自分だったのだと。 正直穴があったら入りたい思いでした。
ただその出来事がなければ、自分は小っちゃい人間のまま終わっていたのだと思います。
リードエンジニアとしての成長
リードエンジニアを務めて技術力の他に学び成長した点について大きく以下の三つがあります。
- Out of the box
- エンジニアドリブン
- 挑戦をやり遂げる力
Out of the box
先入観や既成概念から離れて思考する状態とも言われますが、僕の場合「視点を高く持ち問題の本質を見抜く」言葉としてよく用います。 例えばシステムでバグがあった場合、普通はバグが起こった部分のみを修正して完了です。 しかしそもそもバグが起こったのはなぜかということを考えなければいけません。 問題を起こすコードが生まれる理由を突き詰め、他の部分も含めて今後同じようなバグを引き起こすコードが生まれないように対策すべきです。 その為には視点を高くしてシステム全体を俯瞰する必要があります。 「木を見て森を見ず」ではなく空から森を眺め問題を見抜くイメージです。
エンジニアドリブン
ISAOに入って技術をいかに問題解決や目的達成の為に使用するかをより考えるようになりました。 そうして僕の中に生まれたのがエンジニアドリブンという考え方です。 エンジニアドリブンは単純に開発陣がプロダクトオーナーに対して開発のイニシアチブを握るというものではありません。 サービスとしてやりたいことを実現する為に、技術によるアプローチの提案を最初に開発陣側から行うというものです。
具体的な例を挙げます。 Goalousは登録したばかりの新規ユーザーにとっては少し難しく、かつある程度企業内に浸透しなければ魅力が伝わりづらいサービスでもありました。 そこで新規ユーザーに優しいサービスにする為に、チュートリアル機能作成や営業のサポート強化の案が生まれました。 一方で僕はエンジニア目線で問題を解決する為に、本番環境と全く同じデモ用の環境を新たに作ることにしました。 デモ環境ではユーザーはテストとして自由に操作が出来、かつ運営側が用意したサンプルデータがあるのでサービスを使い続けた時どうなるかをイメージすることが出来ます。 この提案は営業側にも喜ばれ、速やかにリリースが行われました。 こうしたエンジニアドリブンの推進は、新しい会社でも心掛けて行っていきます。
挑戦をやり遂げる力
入社から約2年、ごまかしながら機能開発を進めたシステムは限界を迎えようとしていました。 特にデザインとフロントエンドについては危機的な状況に陥っており、チーム全体で話し合った結果、デザイン・フロントエンド両方の大規模なリニューアル実施が決定しました。
しかし少ないリソースで、かつ既存システムでの機能開発や改善と並行しながらの実施だったので、当然時間がかかりました。 またあまり他で例を見ない開発であったので産みの苦しみをこれでもかと味わいましたが、リニューアルリリースを今年やり遂げることが出来ました Angular × Atomic Designでデザインリニューアルを行った話
リプレースしなければいけない部分もまだまだありますが、このリニューアルをリリースしたことは僕にとって大きな自信・経験の一つとなっています。
そして旅立ちへ
ISAOで僕は人間としてもエンジニアとしても大きく成長することが出来ました。 だからこそNextチャレンジに「今」挑戦すべきだという思いが生まれ、退職を決意しました。
転職先の会社はまだ今年設立されたばかりの会社で子育て支援プラットフォーム構築に従事する予定です。 プラットフォームは利用者(保護者・子供)・保育所・自治体が合同利用するもので、まずは紙をデジタル化し三者間の効率改善に取り組みます。 技術からのアプローチで業界にインパクトを与える挑戦はここから始まります。
最後に一つエピソードがあります。
退職を会社に報告した後、たまたま時期が重なり半期毎の全社員の人事評価が行われました。 その中でなぜか退職するにも関わらず僕の評価も実施されました。 しかも代表を含む評価実施メンバーによる話し合いが長く行われた結果、普通の会社ではありえないことに退職予定である僕の昇級が決定してしまったのです。。 自分も現場にいて話し合いの中で印象的だったのが「普通の会社ではもちろんあり得ない。ただISAOでは退職するかどうかに関わらず純粋にその社員の等級を判断すべきだ」という言葉です。
ISAOらしいと思いつつ、最後の最後で人事が衝撃的な発言をしました。 「大変です!吉田さん昇級の条件であるTOEIC点数を満たしていないです!なので昇級しますが給料はそのままです。。。」
そう、実はISAOでは昇級の条件としてTOEICの一定の点数を満たす必要があり、満たしてない場合暫定昇級のような形で給料は変わらないのです。 散々話し合った結果それかよと、その場にいた全員がずっこける形となりました。
僕はそんなISAOが好きです笑