僕が経営参画する人に求める、たった一つのコト
役職・階層がないバリフラットのColorkrew(カラクル)ですが、会社の経営に関する重要な方針の話し合いに関しては、経営プロジェクトのメンバーが決めていく仕組みになっています。 この経営プロジェクトとはどうやって運営されているのか、そして経営プロジェクトメンバーを僕がどう選んでいるのかを書きたいと思います。 経営プロジェクトのリーダー 経営プロジェクトの、プロジェクトリーダー(PL)に関しては、現状僕がやっています。 バリフラットシステムでは、複数のプロジェクトに入るのが基本ですので、もちろん僕も他のプロジェクトに入っています。 そしてその場合は、メンバーとしての参画です。 PLとして、僕の最も重要な役割は、そのプロジェクトにおいて必要な人材に声をかけ、参画してもらうことです。 僕がメンバーに求めること 僕が経営参画するメンバーに求めることですが、基本的にはたった一つです。 それは、「なにができるか」ではなく、「なにをすべきか」を考えて発言するということです。 経営プロジェクトで決まったことは、実行に移されます。 現実的に実行を担当する自分を想像すると、「この課題は、理想としてはこうすべきだけれど、それは現実問題として社内からの抵抗があったり、オペレーション的な課題も大きいので、言わないでおこう」とか、「ちょっと妥協して違う提案をしよう」なんて思いたくなることは多いものです。 こうやって「なにをすべきか」を避け、「なにができるか」に発言が向かってしまう人は経営メンバーとして失格です。 すべきことを、100%できるわけではない こういう話をすると、「そんなのは理想論で、現実としては、理想通りできないことは沢山あるんじゃないか」と反論したくなる人もいるでしょう。 その通りです。 ただ、経営プロジェクトのメンバーが肝に銘じなければいけないのは、”すべきこと”と定めたことが、できないとき、それは**「自分たちはできていない」と内省し続ける**ことです。 内省しつづけるのは、苦しいことです。 多くのことで、”すべきこと”ができていなければ「自分はいい感じでやっている」と自分たち自身に言うことはできなくなります。 カラクルでも「すべきこと」と認識していても、できていないことはたくさんあります。 大切なことは、できていないことをごまかさず受け止めて、いつかできるようにするというコミットメントを持ち続けることです。 「なにをすべきか」はどんな仕事にも通用する考え方 実は、この考え方はどんな立場の人にも同じように重要なことです。 特に若くて、組織の中での影響力がまだ小さく、自分の正しいと思ったことを仕事を実現しづらい立場の人。 多くの職場では、会社や部署の都合で、本来すべきこととは違ったことを不本意ながらしなければならないことも多いでしょう。 そんなときでも、まずは自分が”すべきこと”と思っていることを相手に正直に話しましょう。 その上でそれを実現するための努力を100%してください。若くて、組織の中でまだ自分の考えを通す力がない人でも、正直にコミュニケーションをし続けることは可能なのです。 そして、結果としてできない場合は、申し訳ない気持ちとともにそれを相手に伝える。 これを愚直にし続ければ、社内外に価値観を共有する仲間が増えていく。 価値観を共有する仲間を増やすことは、自分の実行力のレベルアップに直接的にインパクトするのです。 そうやって真摯に物事に取り組み続ける。 そのうち自分の実力が上がり、組織の中での存在感も強くなっていけば、”すべきこと”が段々できるようになっていきます。 こういった姿勢は、経営プロジェクトに参画するようになってからいきなりできることではありません。 やり続けることで基本動作にまで昇華することが重要です。 「なにをすべきか」を積み重ねてきた人を、今後も経営メンバーに入れていきたいと、プロジェクトリーダーとしての僕は考えています。 <大人気コンテンツ>組織やマネジメントに関するセミナー開催中!...経営者にとって最も大切なコト
僕は、経営者という立場で15年間働いています。 初めての経験は、2006年にドイツで駐在していたときでした。 部門の別会社化により、20人くらいの会社の代表になりました。 その後、2010年に日本に帰国してすぐに、元の会社からColorkrew(以下、カラクル)に出向し、代表をすることになりました。 昨年には、親会社からカラクルそのものが独立して、僕自身は初めて会社員ではない立場として代表になりました。 サラリーマンではない経営者になったことから「ものすごく心境が変わったでしょう?」と何人かの人に聞かれたのですが、不思議なことにほとんど心境の変化はありませんでした。 その理由は、経営者として一番大事なことを理解し、行動し始めたのがもう随分と前だからかもしれません。 経営に必要なスキルとは 経営は、バランスです。 いま事業がうまくいっていても、そこにいるチームがやる気をなくしてしまえば、将来は危うい。 逆に、チームはやる気満々だけれども、事業ポートフォーリオがダメで、足元の業績がずっと悪ければ会社は潰れてしまうかもしれません。 業績を伸ばしつつ、チームのやる気を引き出すというバランスをいかに取っていくかは、まさに”言うは易く行うは難し”です。 経営は日々判断の連続です。 成長していくためには、無難な判断だけでなく、ときにはリスクを取らなければならないことも出てきます。 どんな選択肢も難しそうに見えるけれど、何もやらない訳にはいかない時などは、本当に苦しい決断になります。 苦しい決断の連続に関して、非常にうまく説明していて共感した本がありますので、以下お勧めしておこうと思います。 ベン・ホロウィッツの「Hard Things 〜答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか」 いま経営をしている人や、将来経営者になりたいと思っている人はぜひ読んでみてください。 話をもとに戻します。 現状維持を否定し、常にベターを求めて判断を量産するスキルが経営者には必要なのです。 しかし、経営者になるためにはそれよりももっと大切なコトがあると僕は考えます。 それは経営者としての「覚悟」です。 最も大切なコトを学んだ2006年の話 僕がそれを学んだのは2006年にドイツで初めて会社を作る直前の経験でした。 作る予定の新会社は、部門を切り離した子会社です。 銀行に直接借入もせず、親会社が必要な金額を貸し出してくれるという体裁でした。 はっきり言って僕は、それまでの中間管理職的な役割の延長線上で考えていました。 別会社化することで、最適なオペレーションにできることのメリットは享受し、リスクは何もないものだと思っていたのです。 事件は設立の直前に起こりました。 新会社設立前、その部門を通年で赤字にしてしまったのです。 それまで新会社設立に関して、全面的にバックアップしてくれたビックボスが日本にいたのですが、その人の逆鱗に触れました。 怒られることがわかってたので、報告も少し遅れました。 というより、僕自身が直接説明する前に、知られてしまったのです。これが怒りに輪をかけました。 突然夜中に電話がかかってきて「明日日本に来い!」と怒鳴られ、呼び出されました。 そして、2ヶ月でドイツから日本に4回行くことになりました。 「オマエはわかってない!」 赤字になってしまった理由について少し説明します。 実は新会社設立前、僕は部門長ではなく、ラインに乗っていない「コーディネーター」なる、よくわからない立場でした。 ただ、日本の本社から派遣された駐在員ですので、日本に対しては説明責任がありますし、事業がうまくいかなければ、追求を受けるのも僕でした。 一方で、部門の中での権限はほぼ皆無。 正直言って「こんなに権限ないのに、なんで責任ばっかり負わされるんだ」と不満でした。笑 当時の僕の立場からは「部門長がしっかりコストや、フォーキャストなどをコントロールしてなかった」という感覚で、突然僕の知らないところからマイナス要素が出てきて、あっという間に赤字になってしまったため、僕は何も悪くない!と思っていました。 いまから振り返れば、この赤字に関して責任は感じていなかったのでしょう。 ですから「なんで赤字になった」「今後二度と同様の失敗しないためにはどうする」と聞かれたら、一応振り返りながら「こうこうします」と回答しました。 そして、「自分がやれば今の部門長みたいに穴だらけのマネジメントはしないから大丈夫です」というのが僕の主張でした。 自分としては、その部門長よりうまくシゴトをする自信もありましたし、必死でやる気持ちもありました。 最悪な場合、もしうまくいかなければ会社をクビにでもなんでもしてくれていいという覚悟もありました。 ところがビックボスは、僕がどんな説明をしても納得してくれませんでした。 (だから4回も呼ばれたのですが…)...【最終回】バリフラットができるまで ⑩~バリフラットでも機能するマネジメントとは~
「バリフラットができるまで」を毎週楽しみにしてくれている皆さん。ありがとうございます! 前回の記事はコチラ➡バリフラットができるまで ⑨〜フリーアドレス実現までの歩み〜 僕の知り合いで「結構読んでるよ〜」と言ってくれる人に限って、いいね!を押してくれていないことが最近わかりました。笑 もし面白かったら是非いいね!をお願いします! 突然ですが、バリフラットができるまでの連載は、今回を一旦区切りとして、最終回にしたいと思います。 (バリフラット縛りではないブログは今後も書いていきます) 段々ネタ切れしてきたとか、書いているうちに過去のブログと結構内容被っちゃってるとか、中村がダーハラスメントに疲れたとか、色々言われそうですが、全て本当です。笑 (注)ダーハラスメント:ブランディングリーダーの原田氏(通称だーはら)による、中村に対する「ブログ書け書け」のプレッシャーが厳しすぎるというハラスメント 最終回は、経営層の方がオープンでフラットに向かおうとするときに、躊躇する一番大きな理由であるマネジメントをどう効かすのか、について書きます。 業績管理は誰がする? バリフラットについてよくされる質問に**「マネージャーなしで、業績管理は誰がどうやってやるんですか?」**というものがあります。 会社は、ビジネスをして利益を出すことで成り立っています。 バリフラットだからといって「業績なんて誰も管理しない」ということではないのです。 誰がする?に対しての答えは**「みんな」**です。 **「全体責任は無責任」なんて言葉もあるので、この答えだけだと「結局管理してないんじゃん」とか「ゆるーい管理してんでしょ」**となりそうですが、そうでもないのです。 プロジェクト制の運営 特定のマネージャーがその組織・領域において、責任をもってマネジメントするというのが従来型の組織の考え方です。 ISAOにはマネージャーがいませんから、そのマネジメント手法はできません。 バリフラットの仕事の進め方は**「プロジェクト制」**です。 何か事業や目標が生まれると、それに応じてプロジェクトが作られる。 (逆に、それが終われば解散する) 各プロジェクトにはリーダーがいますので、そのリーダーが採算や全体進行に関して、責任を持ちます。 ですがISAOの中で、プロジェクトリーダーの責任とは「数字」ではありません。 リーダーの責任。それは・・・ ①プロジェクトのビジョンをつくり、それをそのチームで共有すること ②ビジョン達成のためのゴール、キーリザルトを立てる。それに向けた行動計画をつくり、日々活動を積み重ねる →OKRの進化形である「GKA」というGoalousによる目標・活動管理 ③結果を把握し、説明する ④状況変化に対応し、GKAを進化させていく 数字は結果として出てきますが、それに対して「責任をとる」という考え方はありません。 ビジョン、GKA、説明、進化の4つをリーダーが責任を持つという考え方です。 会社全体の業績は、経営プロジェクトの責任 会社全体の業績や成長戦略に関しては**「経営プロジェクト」**の責任という位置付けです。 経営プロジェクトのリーダーは僕ですが、経営プロジェクトメンバーは固定的ではなく、そこには経営参画の意思のある人が、自発的に集まってプロジェクトを形成しています。 このプロジェクトのミーティングは定期・不定期で行なっていますが、ISAOのメンバーであれば誰でも必要なときに参画し、意見を取り入れるという柔軟な形式をとっています。 最近は、コロナウイルスの影響もあり、ビデオ会議をやることが多いのですが、今週の会議にはいつも来ていない人がいきなり参加していたので**「お、何か話したいことあった?」と聞いたら「いや、なんとなく参加しようかと」**と言って参加していました。笑 メッシュマネジメント 会社には業績以外にもマネジメントしなければならないことがたくさんあります。 例えば、リソースマネジメントや、経費のコントロール。 コーポレート的なことで言えば、会社の中のファシリティに関してのマネジメントもありますし、健康管理、労務管理など、多岐に渡ります。 こういった各項目に対して、バリフラットでは**「誰が責任を持ってアンカーを務めるか」**を決めていきます。 そのアンカー(多くの場合プロジェクトリーダー)は、自分の責任分野において、GKAを運用します。 GKAでは計画を立てて、実行するだけではなく、その活動をシェアしていきますので、周りもその進捗を理解することができます。 こういったメッシュに入り組んだマネジメントを効かせることで、必要なマネジメントを会社全体で効かせる仕組みをISAOでは**「メッシュマネジメント」**と呼んでいます。 バリフラットのすき間 メッシュなので、かなりきめ細かいことも拾える仕組みになっている一方で、多少すき間ができて、うまくマネジメントが機能しないこともあります。 それを僕たちは**「バリフラットのすき間」**と呼んでいます。 では、すき間を見つけたら、どうするか。 すき間を埋めるために、どんな形でもいいのでもう一本のマネジメントを紡ぐことを考えます。...バリフラットができるまで ⑨〜フリーアドレス実現までの歩み〜
いままで、人事や組織の話を中心に書いてきましたが、今回はオフィスの中がどう変わってきたかについて書きたいと思います。 前回の記事はコチラ➡バリフラットができるまで ⑧〜評価制度をぶっ飛ばす~ 2フロアからワンフロアへ いまの浅草橋のオフィスに引っ越してくる前、ISAOは四ツ谷にありました。 ちなみに、1999年の設立時は六本木、五反田、そして四ツ谷ということで、今度は三鷹か?なんていう冗談もあったようです。 余談はさておき・・・ 四ツ谷のオフィスは、以前の親会社のビルだったということもあり、新生ISAOはとにかく早く引っ越しをしなければなりませんでした。 四ツ谷オフィスは立地に恵まれ、環境も悪くなかったのですが、僕たちが感じていた問題は、2階と3階の2フロアに執務スペースが分かれている点でした。 僕は主に3階にいたのですが、2階の人とはほぼ交わらないので、なかなか気軽に話ができませんでした。 かつ、L字型でしたので、同じ階であったとしても端から端まで見えないのです。 当時のISAOは業績が赤字だったのですが、僕は**「顔が見えない問題」**がチームの一体化を妨げる要因になっていると感じていました。 そこで**「引越しプロジェクトチーム」**を編成し、山手線周辺でオフィスを探すことにしました。 結果としては現在の浅草橋のオフィスに引っ越すことになったのですが、その時の一番の条件は**「ワンフロアに全員が入れること」**でした。 1フロアの良さ 赤字会社でしたので、とにかく賃料の安いところ。 でもワンフロアは譲れない・・・ 最終的に僕たちが決めたのは、秋葉原から徒歩12分。 どちらかというと浅草橋(というか住所は浅草橋)の現オフィスです。 少し古くて、駅からも遠めでしたが、**「運動不足解消にもちょうどいい」**なんて言い訳しながら引っ越しました。 2011年5月の連休に引っ越して、1フロアの良さは、すぐに実感できました。 1フロアに全員が集まったことにより「あれ、あの人誰だろう!?」ということが劇的に減ったのです。 意図せずに色々な人と社内で出会い、簡単に話ができることでお互いの理解が深まるチャンスが増えたと思います。 黒いパーテーション これが当時の写真です。 ワンフロアで、みんなが見える。 でも当時は、黒いパーテーションがありました。 このパーテーションが見晴らしを阻害していること、景観が黒くて暗く見えることが気になり始めました。 「見晴らしを良くしたい!」 そこで、次に取り掛かったのがパーテーションの撤去でした。 サイレントな抵抗勢力 とりあえず、いきなりパーテーションとっちゃえーと思い、社内SNSで「パーテーション取ろうと思うんですけど」と発言してみました。 すると、すごくノリが悪い。 積極的に「xxxだからダメ〜」というより、「なんとなくイヤだ」みたいな空気を感じました。 一応「見晴らしが良くなると、みんなの顔が見えて、近く感じるし、コミュニケーションも活性化するんじゃないかな〜」と言ってみましたが、なんというか見えない抵抗を感じます。 「仕事をしている様子が見られるのがイヤ」と思った人が多かったのでしょう。 いつまでも話してもキリがないと思ったので、結構強引に「パーテーションがなくなった状態の経験がないので、一回やってみよう。デメリットが多かったら戻そう」と言って断行。 しばらくやってみて、パーテーションを戻したいという意見もなかったので、結局取っ払ったパーテーションは捨ててしまいました。 セカンドモニターが邪魔! パーテーションがなくなってだいぶ見晴らしが良くなりましたが、今度はみんなの机の上にあるセカンドモニターが邪魔に思えてきます。 かくいう僕もセカンドモニターを使っていたのですが、あるメンバーが**「モニターがあると顔が見えないし、ノートPCだけで十分仕事できる」**と言い出したので、これも一回やってみようとなりました。 その時点では、デスクトップPCを使っている人もいたので、全社員をノートPC化し、卓上にあるセカンドモニターは全て撤去しました。 デザイナーやエンジニアが多い会社の方はよくわかると思うのですが、セカンドモニターはエンジニアにとって非常に重要です。 とにかく見晴らしを良くしたかった僕は**「最新のMacに変えてあげるから」とか色々口説いて、全ての人たちを渋々(?)納得させ、オフィスからモニターを100%撤去することに成功しました。** フリーアドレスへ ここまでのISAOは、部署ごとにいわゆる普通の「島」があって、座席は固定でした。 2015年10月にバリフラットになったあたりから、部署で固まって座る意味が少なくなり、今度はフリーアドレスにしようという話になります。 多くの人にとって、袖机をなくすことは一番の痛みでしたが、徐々に取っ払い、最終的には全てなくしました。 僕自身も、袖机を2つ使っていて、かつキャビネも一つ持っていたのですが、これを機会に全て中身を捨てました。 今考えると余分なものを沢山保管していたなと思います。...バリフラットができるまで ⑧〜評価制度をぶっ飛ばす~
今回は、コーチ制度をぶっ飛ばしたあとに、評価制度をぶっ飛ばした話をしたいと思います。 前回の記事はコチラ➡バリフラットができるまで ⑦〜コーチ制度をぶっ飛ばす 一般的な評価制度の問題 評価は上司がするもの。 多くの会社での評価制度はそうなっています。 当たり前ではありますが、上司は選べません。 僕自身も過去、色々な上司と仕事をしました。 素晴らしい上司に巡り会ったときは、素晴らしいコーチングをしてもらえました。 また、良くも悪くも的確な評価をしてもらえます。 逆に、相性が悪く、役職者としてのスキルと人格が十分備わっていない上司に当たると、どうしようもなく、ただただ「早く人事異動にならないかな」と祈るしかなかったことを記憶しています。 いま思えば、上司から見れば僕は厄介な部下だったろうし、嫌われていたこともありそうです。 このように、マッチしていない人がコーチ(上司の役目)になり、理解したくもないのに評価する制度には無理があるのではないでしょうか。 360度評価について 一方通行の評価の限界を打開しようとして生まれたのが360度評価です。 人事的には、マネージャーが一方的にパワフルになることを抑止できるいい方法だと思っています。 ただし「本当に評価するべき人」を会社がパーフェクトに選ぶのは至難の技でしょう。 であるならば、コーチと同じで自分で選んでしまえばいい。 こうした経緯で、ISAOの「評価者を自分で選ぶ」評価制度が始まりました。 こう説明すると、「自分に甘い評価をしてくれる人ばっかり選んじゃったらどうするの?」と、必ず質問されます。 オープンが全てを解決する! 全てがオープンなISAOは、もちろん、誰が誰を評価者に選んだのかもオープンです。 そうすると自然に、甘い評価者ばかりを選ぶわけにはいかなくなります。 周りの人が「あなたの評価者選定おかしいよね」となるからです。 さらに、コーチも評価者を追加できる仕組みで、よりフェアな評価者選びを実現しています。 ISAOの人事評価 ここで、ISAOの人事評価がどうなっているのかを少し説明します。 ISAOの目標管理は、Googleで採用されているOKRをさらに進めたGKAを使っています。 GKAとは、Goal(目標)ーKR(成果)ーAction(活動)の略で、目標をオープンにし、それに向かった日々の活動をどんどん共有するというシステムです。 Goalousは、GKAをベースにした社内コミュニケーションサービスです。 ISAOは、Goalousで過去の活動や進捗度合いを見て、印象ではなく、実際の活動をしっかり確認して評価するのです。 Goalous上で、各目標に関しての評価をして、その上で「総合評価」を行う。 総合評価は、 定性的に・・・ 評価できることや、その人の今後の課題など 最終評価・・・ 等級を上げるべきか、そのままか、それとも下げるべきか これらのフィードバックを目的にしています。 等級を上げるべきか、下げるべきかは、非常にセンシティブなものですが、結局はっきり意見を言うべきだという考え方で、評価者全員にしっかり意見を言ってもらうようにしています。 バリフラット2.0は、評価を全社にオープンに バリフラットより前から、ISAOは、自分に対して評価者がどういった評価をしているかをフィードバックしていましたが、他の評価者のフィードバックは確認できませんでした。 バリフラットを始めて3年経った2018年のことです。 社内からの声により、バリフラットを更に進化させようと、「バリフラット2.0」プロジェクトチームが作られます。 評価に関しては、**「全ての評価を全社員にオープンにする」**という意見がでてきます。 これは2.0へのアップグレードの目玉の一つとなりました。 最初にそれを聞いたとき僕は、正直「そんなことは出来るわけないし、反対が強すぎて、難しい」と思っていました。 そこで、思い切ってみんなに聞いてみました。 すると、ほとんどの人から「問題ない」「そうすべき」と答えが返ってきたのです。 僕のオープン哲学を、TeamISAOが上回った瞬間でした。...バリフラットができるまで ⑦〜コーチ制度をぶっ飛ばす~
今回は「コーチ」という課題にどう取り組んだかを書きます。 それまでの組織での「役職者の役割」を考えてみた バリフラットの枠組みを決める経営合宿で、プロジェクトリーダーを決めることで、事業運営に、役職者が必要ない仕組みにした話を前回書きました。 前回の記事はコチラ➡バリフラットができるまで⑥〜フラット化の総仕上げと部署の消滅 しかし、役職者の担っていた役割はそれだけではありません。 役職者たちは、その部のメンバーたちを評価したり、コーチングしたりと人材育成の観点で、非常に重要な役割を担っていました。 役職者のないバリフラットで、それらをどう担保するのか。ISAOが考えたのはコーチ制度でした。 コーチの役割は、メンバーと「キャリアプラン」を話し合い、その成長に貢献することと定義しました。 初期のコーチ制度 バリフラットスタート時のコーチ制度は、全体を見渡している経営メンバーたちが、個人個人に対して、適切だと思われるコーチ候補を数人提示し、本人にその中から選んでもらう、というものでした。 今振り返ると、成長に厳しく向き合わず、イージーな関係を構築できる相手を選んでしまうのではないか、社員一人ひとりがその人にとって適切なコーチを自分で選べないのではないか、と恐れていたのだと思います。 ISAOでのコーチは**「360度評価の取りまとめ」**という役割も担うので、自分と仲のいい社員をコーチとして選び、評価が甘くになってしまうことも危惧していました。 100%自分で選ぶコーチ制度に バリフラットがスタートした2015年10月から2年間ほど、この仕組みで運用をしたのですが、会社が提示するコーチ候補がベストではなく、本人にとってみれば他の人がいいという状況がポツポツと起こり始めます。 そこで**「コーチを変えたい」**と申告をしてきた人は、都度話をして、経営メンバーが納得すればコーチを変えられるという仕組みにしました。 何回かそういった話し合いを繰り返し、僕たちは思いました。 「もう、自由に選べばいいんじゃないか」 こうして、100%自分で選ぶコーチ制度が始まりました。 誰が誰をコーチに選んでいるかは当然オープンなので、自然と規律をもった選択をみんながすることもその後証明されています。 オープンはこんなところにも効いてきます。 コーチ資格 とはいえ、コーチングにはスキルが必要です。 コーチの候補者には、社内コーチング研修を受けてもらい、コーチをやっている人たちが集まって、悩みを相談し合う座談会のようなものを開催し、コーチングスキルを高める取り組みをしています。 もう一つの課題。 自由に選択した場合、多くの人が自分と同じ職種のシニアをコーチに指名する傾向があるのですが、コーチングスキルが足りないために、スキルの話に終始してしまい、メンバーの成長をサポートできないケースが出てくることです。 その場合、本来の目的であるキャリアプランの相談相手になれないのであれば、自主的に降りてもらうことも含め話し合いをします。 コーチはボランティア バリフラットの運営において、重要な役割を担っているコーチですが、コーチングでの手腕を評価してしまうと、結局昔の「中間管理職」的な考え方になってしまう危険があります。 そこでISAOはコーチとしての成果を、自分の評価に反映していません。 もちろん、チームに対しての貢献ではあるので、ある程度の底上げはありますが、コーチングの成果の評価はしないのです。 これは、コーチングに過大な時間をとってはいけないというメッセージでもあります。 どう効率的に、いいコーチングをするか。 これは永遠の課題ですが、しつこく取り組んでいきたいと考えています。 コーチのみ 会社だけのコミュニケーションだと、深い話がしきれないという理由で、コーチとメンバーが外でお酒も含めた食事をしながら話すことをサポートする制度が**「コーチのみ」**です。 コーチのみは、基本1対1での食事で、会社が1万円を補助するという制度です。 多くのペアがこの制度を利用して関係性を高めています。 人気コーチにメンバーが集まりすぎる問題 ボランティアといいつつ、コーチになればそれなりに時間が取られます。 そして、コーチとして人気のある人には、メンバーが自然と集まってしまう。 一人ひとりはそんなに時間がかからなくても、たくさんの人をコーチするとなれば、それなりに時間がかかってしまう。 また、一人一人とコーチのみしていたら、そのうち肝臓の問題も出てきそうです。 この問題はいまだに解決はしていません。 コーチできる人数制限を設けるかなどのアイデアも含め、今後解決していかなければならない課題だと思っています。 コーチは、いつでも変更可能 いまでは、自分の成長段階や、課題に応じて自由にコーチを変えることができるようにしました。 人事や経営のメンバーに相談する必要もありません。 自分で考え、自分で決める。 「自主性」を重んじた制度に進化しているのは嬉しいことです。 コーチを軸にした評価制度の確立 上述しましたが、コーチは360度評価の取りまとめ役を担っています。...バリフラットができるまで ⑤〜バリフラットにした瞬間の話~
「バリフラットができるまで」は、まだまだ続く予定ですが、ここで徐々にフラット化していたISAOが、最終的にバリフラットにした瞬間の話を書きたいと思います。 想定していなかったバリフラット 前回のブログ「④〜オープンが先か、フラットが先か」で、トップ・部長・みんなという三階層になるまでの経緯を説明しましたが、その頃の僕は正直なところ**「このくらいがフラット化の行き着くところかな」**と思っていました。 ところが、僕が思ってもいない形で、バリフラットへISAOは進むことになります。 きっかけは、小泉部長の長期海外出張 テレビや取材を受けるといつも注目の的の小泉さん。 56歳で初めて営業となり、2年でエースになった人です。 詳しくは過去ブログでどうぞ。 「年齢は関係ない。成長し続ける還暦トップ営業マン」 小泉さんがインドへの長期出張から帰ってくるタイミングで、**「あれ、元の部はもう若手が部長やってるし、どうしよう」**となったのですが、ISAO的な考えでは、誰かのために不必要に新しい部署を作るということはしたくなかった。 とはいえ、ISAOの大功労者である小泉さんをどう処遇するかは、大きな課題でした。 全然いいアイデアが思い浮かばなかったのですが、もう一人の部長が突然僕に言ったんです。 「もう部長も止めませんか?」 えっ?かなりびっくりしました。だって、少なくなった中間管理職的仕事とはいえ、まだ部長には部門をまとめる役割をもってもらっており、マネージャーとして機能していたからです。 彼は、続けます。 「この会社は、ほとんどみんなが管理する仕事をせず、生産性のある仕事を求められている。それによってみんな成長しているし、その点では、逆に部長であることは足かせになっている。自分たちも他のメンバーと同じようにフラットな立場になった方が、会社にとっても、自分たちにとってもいいはずだ」 なるほど・・・ コンフォートゾーンから飛び出した部長たち 部長という仕事は、みんなのサポート役であり、直接現場にでて生産性のある仕事をする機会は少ない。 でも、組織さえうまく回っていれば、非常に安定していて、給料だってみんなより高い。 そんな彼らが**「そんなの捨てて、自分の身一つで勝負する」**と言い出したのです。 この話を始めたのが、小泉さんが帰ってくる3週間前。 2週間前には、当時の部長たちを集めて合宿をしました。 部長なしに、どうやってビジネスや組織を回していくのか。 そのエコシステムをとにかく徹底的に話し合いました。 一日中話して、夜は飲みに繰り出します。 「自分はxxxをやろうと思う。あなたはどうする?」みたいな話を延々としたことを覚えています。 彼らは担当としての仕事を持っておりませんので、すべてゼロからのスタートになりました。 言い出しっぺの営業部長は、営業として売上ゼロから再スタートです。 一番大きな部門を担当していた部長は**「新たなビジネスを一人で始める」**ことになりました。 すごくないですか? そのままだったら安定しているのに、わざわざイバラの道を自分たちで選んでしまいました。 挑戦して、成長し、証明した部長たち 小泉さんや他の部長たちが、一番率先してヒエラルキーをぶち壊し、ゼロからの再スタートをし、その後全員が成功したことで、ISAOでは若くても、多少歳をとっていても「経験がないからできない」という言い訳は通用しなくなりました。 **「いくつになっても挑戦できる」「成長に年齢は関係ない」**というこの実績は、バリフラットの副産物として最も大きな資産になりました。 ISAOでは、歳や経験がないことは、挑戦できないことの言い訳にならないのです。 このようにバリフラットの仕上げは、僕にとって思ってもみなかった展開でした。 ISAOや僕の背中をドンっと押してくれた、サイコーにファンキーな当時の部長たち、ありがとう!! 続きはコチラ➡ バリフラットができるまで ⑥〜フラット化の総仕上げと部署の消滅...バリフラットができるまで ④〜オープンが先か、フラットが先か~
「何から始めるべきですか?」 オープン&フラットの思想を組織に取り入れていきたいと考えている経営者や、部門長の方からよく聞かれる質問です。 オープン化が最も重要 結論から言うと、「オープン」の重要性はフラットの数十倍高く、そして順序としてもまず初めに手を付けるべきものだと考えています。 もっと言えば、バリフラットの考え方は**「オープンに始まり、オープンに終わる」**と言っても過言ではありません。 オープンの重要性と、オープンにするために必要な準備については「② 〜オープン化の前に説明できる状態に」で説明しているので、そちらを読んでいただければ。 オープンにすべきもの 究極に言えば**「すべて」**ということになるのですが、基本的にオープンにすべきものを列挙したいと思います。 【絶対にオープンにすべきもの】 会社の活動に関する考え方や、その結果(数字)などは必ずオープンにすべきものです。 ・経営者の考えの発信(カルチャー、ビジョン、戦略など) ・会社及び、各事業の損益計算書、貸借対照表(PL/BS) これらをオープンにすることで、マーケットの中で、自分たちの置かれている状況がわかるようになります。 別の言い方をすると、すべてにおいてのスタート地点である**「現状の理解」**を皆で共有することができるようになるのです。 【できればオープンにすべきこと】 お金の使い方に関することもできるだけオープンにしていきたいことです。 ・経費(交際費など含め) ・給料と評価 これはハードルが高いと感じる人が多いのですが、これらをオープンにすることで、フェアネスが向上し、個人の成長への取り組みが加速します。 なぜ給料をオープンにすると、成長することができるのかは過去こちらで書いています。 https://blog.colorkrew.com/open-management03/ フラットにはいつするのか? オープンな環境になってくると、それまでの階層型組織での無駄な活動(長いレポーティングラインや、報告するためだけの資料づくりなど)が浮かび上がってきます。 それを感じたら、少しずつ階層を取り除いていくのです。 例えば、ISAOであれば、2011年に**「管掌役員制」を廃止**しました。 管掌役員制とは、僕も含めた役員が、部長を管掌するという制度です。 風通しが良くなり、部長と管掌役員の役割が重複していることに気づいたため、すべての役員に、「部長」という役割を持ってもらうことにしました。 その後、「部長」「グループ長」も役割が重複してきたので、役職者は「部長」だけに集約しました。 大切なことは、今までの組織を温存せず**「いまどんな組織が最適か」**を常に考え、その結果に従って組織を再編していくことです。 いかがでしょうか。 まずはオープンを進め、それによりコミュニケーションが変わり、最適な組織の形が変わっていくというイメージが湧いたなら幸いです。 続きはコチラ➡ バリフラットができるまで ⑤〜バリフラットにした瞬間の話...バリフラットができるまで ③〜多数決では改革はできない~
前回は、オープン化の前に「説明できる状態をつくる」ということについて書きました。 バリフラットに至るまでは、「いままでの状態」をかなりドラスティックに変えていく必要があったのですが、その時にどう決断し、どうドライブしていくべきなのかという話を今回は書きたいと思います。 なぜ変化することが必要なのか 組織は生き物です。 ですから、どんな会社でも、状況に応じて変化していかないと、段々疲労を起こして、そのうち機能不全に陥ります。 作った当時は意味のあるルールややり方であったとしても、長い間同じものを運用していると、余計なものがくっついてきたり、時代に合わなくなってきます。 作った当時の精神を持続し続けることも不可能ですし、周りの環境はすごいスピードで変わっていきます。 よって、どの会社でも**「変化しなければならない」**ということは必然なのです。 改革は痛い!? 時代に合わなくなってきても、変化できる組織は多くありません。 変えられずに惰性で同じことを繰り返すだけの組織は、当然パフォーマンスが落ちていきます。 「改革をしなければいけない」 多くの人は感覚的にわかっています。 でもできない。なぜか。 簡単に言えば、**「改革は痛い」**からです。 既得権益を失うことや、自分がやっていることを変えていくことに、人は自然に抵抗します。 ですから、改革がドラスティックであればあるほど、「やりたくない」と思う人が多くなるのは当たり前なのです。 多数決は取ってはいけない 決める時は多数決をとってはいけません。 それは、多数決を取れば、多くの場合**「変えない」勢力が勝つから**です。 **リーダーが覚悟を持って決める。**それしか改革をする方法はありません。 民主的に話をする 多数決をとってはいけないと言いましたが、それは「一人で勝手に決める」ということではありません。 たくさんの人と話しをしなければなりません。 また、元々の自分のアイデアにこだわることも禁物です。 人と話すと、自分一人では見えなかった側面も見えるようになりますし、それが見えることで、決断の方向性を変えなければならないこともでてきます。 リーダーはしっかり話した上で、自分のアイデアをブラッシュアップし、決断をするべきなのです。 多数決ではできなかった決断の例 ISAOで過去決断し、変化したもので、多数決では絶対にできなかったことの例を少しあげてみたいと思います。 ・昇格の英語基準の導入 チームのグローバル化に必要な英語基準の導入。90%くらいの人がNOだったと思います。 ・デスクの間仕切り/モニターの撤去 社内の見晴らしをよくするという目的で、デスクの仕切りや、居室の中心部のモニターを撤去しました。 特にエンジニアからは大きな反対がありましたが、のちに壁際に高精度モニターをたくさん置くことになり、なんとか理解を得ました。 ・日本語を全く話せない外国人の採用 「効率が落ちる」ことは間違いなかったのですが、中長期でのチームのグローバル化を見据え実行。 みんなで苦しみながら、チーム作りをやってきました。 ・小さい昇給の廃止 以前は**「月一万円の昇給」**などがありましたが、2011年に細かい昇給を廃止しました。 本題と外れるので詳細の理由はここでは割愛しますが、当時のマネージャーたちのほとんどが反対しましたが、押し切って廃止しました。 ・自社サービスへの投資 特に始めたばかりのころは、「なんで自分たちが稼いだ金を、いつ収益化するかわからないサービスに投資し続けるのか」という人が多くいました。 このように、クリティカルで、賛否が別れる決断であればあるほど、多数決ではなく、リーダーが責任をもって決断しなければなりません。 **「いつも多数決で決めてた」**という方は、ぜひこのやり方を試してみてください。 連載④〜オープンが先か、フラットが先か へ...バリフラットができるまで ②〜オープン化の前に説明できる状態に~
前回の記事ではバリフラット組織には、オープンにすることが重要であったことお伝えしました。 ※連載記事①: 〜バリフラットは目標ではなく、結果だった 今回はその「オープン化」の前にしなければならないこと、また実際にISAOで何に取り組んだのかを書きたいと思います。 2010年、新生ISAOに着任 2010年4月1日にISAOは元の親会社のCSKから、豊田通商に売却され、僕は豊田通商の社員として出向でISAOに送り込まれた落下傘経営者として、ISAOにやってきました。 しかし、僕が実際にISAOに着任したのは2010年6月21日でした。 新しいISAOのスタートに間に合わなかったのは、その前の仕事(ドイツ)での引き継ぎに少し時間がかかったことが原因です。 ですから4月からの新ISAOの代表には、豊田通商の先輩がまずなり、その後10月で代表を引き継ぐことになりました。 だれも僕を知らないというスタート 僕は小学校の時に、2回転校した経験があります。 1度目の転校では、その地方の言葉がなかなか話せないという問題もあり、かなり苦労した記憶があります。 イジメみたいなものも経験しました。 ISAOに来た時も、ある意味転校生のようなものですから、どんな展開になるのかドキドキしました。 上述したように、10月まではタイトルもなく、中途半端なポジションでしたので、幹部の人たちを除き、160人くらいいたほとんどの人たちは僕のことを全く知らない状態でした。 当時よく喫煙室で仲良く話をしていた女性社員は10月になるまでの3ヶ月ほど、僕が新しくきた営業の人だと思っていたみたいです。笑 ともあれ、誰も僕のことを紹介してくれませんし、ITサービスは全くの素人だったこともあり、ほぼ透明人間のように過ごしていました。当時の役職者の人たちからも**「中村さんはあんまりわかってないでしょうから、事業に関わらなくて大丈夫です」**と言われ、仕事もほとんどなく、完全におミソ状態でした。 ただ、おかげでいろいろな人と、変な遠慮なく話ができましたし、親切な同僚がわからないことなどを教えてくれたおかげで、この期間は僕にとっては非常に重要な時間となりました。 あと、席の近かった2人がかなり構ってくれて救われたことを付け加えておきます。 リョウさん、ヒデさん、ありがとう。いまでも感謝してます! 情報クローズの闇 しばらくすると、いくら情報が閉ざされているとはいえ、徐々に僕が10月に代表になることを知って話かけてくる人が出てきました。 その中で、営業マンがいたのですが、その人は**「この会社の給料は不公平すぎる」**と僕にクレーム(?)を言ってきたのです。 今のISAOは給料が完全公開されているので、調べるのは簡単ですが、当時はそういうものはありませんので、無理やり人事の人に一覧表を作ってもらいました。 (かなり怪訝な顔をされた気がします) するとびっくりするような現実が浮かび上がってきました。 「給料」がめちゃくちゃなのです。 多くの人が、仕事のレベルと給料のレベルが合っていない。 トップ営業マンの給料が、コーポレートのアシスタントの人よりもずっと低かったり、若手で活躍している人が不当に低くて、年齢が高い人が相対的に高い給料になっていたり。 前職の条件をただ引きずってしまっていたり、局所的には好き嫌いが人事にでていたのかも知れません。 しかも、細切れの情報や、噂が飛び交い、みんなが疑心暗鬼になっている。 これはヤバいと思いました。 給料をゼロベースで見直す 先のブログで「オープン化が重要」と書きましたが、実はオープンにするためには、まず**「説明できる状態」**にする必要があります。 給与体系の見直しと人事制度の刷新が急務と判断しました。 当時の幹部の人たちと相談し、12月頃から、役職者を集めて、一人一人の人材価値を、計3日かけて話し合いました。 意見の相違があれば、満場一致になるまで時間をかけてやりました。 これによって、縦横斜めの角度から全社員のバリューを判断し、新しく作った等級(11段階)に当てはめていく。 評価として、年収で200万円くらい上がる人がいる一方、100万円以上下がる人も結果として出ることとなりました。 あまり原資を考えずに、まずが絶対的に判断しようとみんなで決めてやったのですが、面白いことに結局給料の総額はほとんど同じになりました。 大荒れした人事評価の通達 2011年4月に新しい等級制度はスタートしましたが、通達はその2ヶ月くらい前から行いました。 給料が上がる人は全く問題ありませんが、評価がいままでの給料よりも下がる人に伝えることは辛い仕事でした。 突然**「あなたは、今の給料の価値はありませんので、給料が下がります」**と伝えられたら誰もいい気はしませんし、怒る人や、じゃあもういいやと辞めてしまう人も出てきます。 給料を上げるのは即時、下がる場合は調整給で2年かけて調整する制度を作って運用をしました。 人事評価は「神の領域」 人事評価に完全な正解はありません。 人のやることですから、エラーもあり得ます。 僕は、人事評価に関しては常に**「神の領域」のことを人間がやっているのだから、自分たちが常に間違っている可能性があることを意識**しながらやらなければならないと思っています。 また、人事評価は「その会社の」評価であって、「マーケットでの評価」とも完全に同じものではないことも理解しなければなりません。...中村流コーチング公開します!
コーチングの定義 コーチングは、コーチが対象者(以下:メンバー)に対して教える(ティーチ)のではなく、問いを繰り返すことでメンバー自身が持っている考えを引き出すことだと定義されています。 新卒であったり、まだ社会人経験が浅い人に対しては、ティーチングの要素をミックスしながらコーチングをすることになりますが、今回は**「コーチング」**に特化します。 以前ISAO流コーチングについて書きましたが、今回は僕自身のコーチングについてより具体的に書きたいと思います。 コーチはメンバーと同じ職種である必要はない ISAOでは、コーチの指名は本人の自由です。 僕に関して言えば、現在は3人からコーチに任命されています。 僕の元々の職種は「営業」です。ですから、専門的なことを伝えられる(教えられる)可能性があるのは、営業のことか、ビジネスに関してになります。 一方、僕をコーチに選んだ人の中には、エンジニアもいます。 その場合、もちろん専門的なことは教えることはできません。 ではどうやってコーチングをするのか。 コーチング前の事前準備 コーチがまずしなければいけないことは、そのメンバーの現状や、思いを理解することです。 事前準備では、メンバーの周りの人がメンバーをどう評価しているか、可能であればヒアリングします。 また、日常会話を重ね、カジュアルに話せる関係性をまずは作っていきます。 ここまで準備できたら、最初の1on1のミーティングを設定します。 2つの1on1ミーティング コーチングをスタートするために、僕の場合は2回のミーティングを設定します。 1回目は1時間半~2時間。2回目は1時間で設定します。 なぜ二つに分けるかの理由は、レイヤーの違う課題をしっかり認識して話す必要があるからです。 1回目のミーティングは、**「ファンダメンタル」について、2回目のミーティングは、「スキル」**にてついて話します。 第一回1on1ミーティング ~ファンダメンタル編~ ファンダメンタルのミーティングでは、2つのことを話します。 一つは、ビジネスパーソンとしての基礎力です。 例としては下記のような項目があります。 有言実行すること(実行だけでなく、宣言することも重要) タスク管理 社会人としての様々な場面でのコミュニケーション能力 時間管理 仕事以外の一般常識をどれだけ持っているか(リベラルアーツ) この項目が増え、一つ一つのレベルが高くなればなるほど、低次なレベルの判断に頭を使うことがなくなり、より高いレベルの判断をしながら仕事ができるようになります。 この時に使うフレームワークは・・・ ①1~2年後のあるべき姿では、基本動作がどのレベルになっているかを考える。 各項目と、そのレベル(1~5) ②それぞれの項目に関して、現在の自分のレベルを考える ③ギャップを理解する ④あるべき姿に向けて、毎日意識して繰り返すことを決める ⑤毎日振り返る(自分自身で記録をつける) もう一つは、仕事の環境についてです。 成長するために、いい環境が作れているか。 この時に使うフレームワークは、こんな感じです。 これらの象限で、自分がどの象限にどのくらいの割合で時間を使うべきかと、現状の割合をまず考えます。 そこにギャップがうまれるので、その割合をどう修正していくのかを具体的なアクションに落とし込みます。 例えば、若手で、仕事に追われているけれど、成長実感のない人はこんな割合の人が多いです。 重要ではない仕事が多く、かつ長期で重要な仕事を全くできていない。 この場合は、重要ではない仕事を止めたり効率化することで、割合を減らし、出来るだけ「緊急ではないが、重要」な仕事に時間を振り分けていくことが重要です。 その際、コーチとして最も重要な役割は、周りとの調整があれば解決を手伝うことです。また、ツールの導入をするなどで効率化できる仕事は、一瞬コストがかかってでもやるべきかをバランスよく判断することです。 第二回1on1ミーティング ~スキル編~ 二回目のミーティングでは、スキルについて話します。...縦割り、階層が組織を滅ぼす。今、時代が求める【新・組織論】
新しい組織づくり、どうしたらいいの? 現状、なんとなく機能していない組織をどう変えていけばいいのか。 多くの経営者、管理職は悩んでいます。 最近流行っている上下関係や管理をなくしていく**「ティール型」組織**はどうだろう。 今の組織と比べてとてつもなく遠い感じがする…。 逆に、「部下のモチベーション管理はしなくていい」「社長は社員と話してはいけない」など、「階層強化型」組織。 それってみんなのやる気は出るんだろうか? ISAOは**「バリフラット」**というティールで言われているような内容に比較的近い組織運営をしていますが、実は「こういう形にしよう」といって組織づくりをしているわけではありません。 形から入ろうとすると間違う!? 僕は「形」から入るだけでは、結局いい成果を出すことはできないと思っています。 「じゃあどうしたらいいの?」 僕が思うのは**「大切なのは形ではない。何を目的にして組織づくりをするか」**です。 当たり前の話ですが、組織は人の集まりです。 人には個性があるように、人の集まりである組織にも個性があります。 ですから、「すべての組織にはこれが正解だ!」なんて組織論はないのです。 これからの組織運営のセオリーを考えてみる ここで終わってしまうと身も蓋もありませんので、ISAOを例にとって「これからの時代の組織運営」について考えていることをお伝えしたいと思います。 「ISAOを」と言っていますが、これは多くの会社に当てはまるはずです。 特に下に書いた**「目的」が一致するものがある会社は、ぜひそれに続く「目標」や「手段」**を参考にしてみていただければと思います。 組織運営について、3段階に分けて考えてみましょう。 目的:最終的に実現しようとしている事柄 目標:目的を実現するために、やらなくてはならないこと 手段:目標を実現するために行うこと ISAOの組織運営の目的・目標・手段 ■「目的」 会社として:掲げるミッション・ビジョンを徹底的に目指す組織であること 社員に対し:社員が、成長する環境を提供し続けること 世の中に対し:組織づくりを革新し続け、世の中の組織づくりのリファレンスになること ■「目標」 価値観を醸成していくこと 権威による上下関係が生む人間関係の不要なストレスをなくし、健全な厳しさの中で仕事ができる環境をつくること スピードを上げた運営をすること ■「手段」 価値観の醸成 健全な厳しさ→オープンで実現 スピードを上げた運営→フラットで実現 と、ここにきて初めてオープン&フラットという言葉がでてきました。 「手段」は時代によって変化する 上記の目的・目標・手段のうち、目的と目標は中長期で変化しないものとして捉えています。 逆に「手段」は目的や目標を叶えるためであれば、時代によってどんどん変化していっていいものであると考えています。 現段階のISAOにおいて、最も自分たちの目的に近づくための有効な手段がオープン&フラットであるということなのです。 オープン&フラットについては過去のブログで色々書いているので、ご興味ある人はこちらからどうぞ。 縦割り、階層型の組織が、なぜ致命的にダメなのか ではなぜこれからの時代において**「縦割りと階層が組織を滅ぼす」**のでしょうか。 ”前”世紀、特に高度成長期には、こういった組織が有効でした。 それは「やることが決まっていた」からです。 20世紀は**「プロダクト(製品)の世紀」**でした。 全てのプロダクトがまだまだスペックアップを目指していて、消費者もそれを求めていた。だから今までの延長線上で目標を決めることができた。 ですから、過去実績のあるシニアを階層の上に置き、その人の知見で事業をリードすることができた。また、それぞれの部門がそれぞれのパートをしっかりやっていれば、プロダクトを進化することができた。 そういう時代でした。...バリフラット組織のつくりかた
階層型で膠着した組織を、オープン&フラットで生まれ変わらせた手順をISAOの実例を通じて語ります! 主に、2010年〜2012年の3年間にISAOで行なった改革について一つ一つお話しします。 いま階層型組織で、今後もっとフラットな組織づくりをしたいと思っているマネジメントの方に参考にしていただければと思っています。 バラバラだった給与制度の改革 2010年当時の状況 中途採用が95%以上で新卒入社がほとんどいないISAOは、入ってくる前の会社での条件の延長で、給与が個人個人決められていました。昇給についても、当時の組織では上司のさじ加減一つで決まってしまう。 これを「全社に納得してもらえる給与制度」にすることが課題でした。 等級制度をつくる まず、新入社員からハイレベルのシニアまでをカバーする「等級制度」をつくりました。各等級に求められるレベル感を定義しました。 結果として、300万円から1300万円くらいまでの年収を12等級で表現できるようにしました。 *現在は11等級で410万円〜1500万円と変更されています 当時70名程の全社員を、全て等級に当てはめるための会議を、部長レベル以上7人程度が集まって、一人一人について話し合い、3日間かけて、等級を決定しました。 新等級制度は2011年4月に開始されました。 一人一人に等級を伝える ここまでのプロセスで、等級制度と、社員全員の等級が決まりました。 ここで何が起こったかというと、ほとんどの人の給料が上がったり下がったりしました。 全体としては、ほんの少しだけ給与水準は上がりましたが、個々人としては、年収で200万円以上上がる人もいれば、200万円以上下がる人も出てしまいました。 上がる人に伝えるのは簡単ですが、一番大変だったのは下がる人にしっかり説明することでした。 上述で決めた、等級定義を元に、上司たちが一人一人に丁寧に説明していきました。 中には納得ができないと、かなり揉めたり、それなら辞めるといって辞めていった人もいました。 ISAOは当時62ヶ月連続赤字の真っ只中でしたので、このタイミングで会社に見切りをつけた人もいたと思います。 調整給で変化をなだらかに 説明は終わりましたが、いきなり年収が何百万円も変わってしまうと、各社員への生活に大きく影響してしまうので、下がる人には調整給を適用しました。 これは2年間かけて、決定した等級に徐々に給与を合わせていくというやりかたです。 *新等級によって給料が上がる人は即時適応しました。 情報公開はどうしたか 大きな痛みを経て生まれた等級制度(給与制度)ですが、いまのISAOのように「フルオープン」ではない状況で、等級(=給与)の公開にはすぐに踏み切れませんでした。 はじめに決めた等級が、本当に正しいものかを見定めていくのも時間が必要でした。 個人個人と話し合い、ようやく適正だと思われる等級構成になるのに3年、最終的に、全員の等級を公開するまでに5年がかかりました。(2016年) その後は、等級を全公開することはもちろん、昇降級の情報もタイムリーに社内コミュニケーションサービス「Goalous(ゴーラス)」を使って公表するようになりました。 次回は「給料を公開することで起こった素晴らしいこと」です。...スペシャル対談!オープンな経営で切り拓く未来(3/3)
ダイヤモンドメディア株式会社の代表取締役 武井浩三さんををお招きしての経営対談。 第一回「ホラクラシー経営とバリフラット経営」に引き続き、第二回「本音で話す給与と評価」では普通の会社ではなかなか明かされないキワドイところまで赤裸々に! 最終回である今回は、お互いの目指すビジョンについて語り合いました。 第三回「互いが目指す未来の姿」 ダイヤモンドメディアは自然の摂理に従って 中村 そろそろ対談をまとめていきたいのですが、今後の武井さんとダイヤモンドメディアがやっていきたいこと、実現していきたいことを教えてください。 武井 僕は経営という意味ではまず、株式の部分まで含めた再現性の高い経営システムを作りたいですね。 事業的な側面では、競合他社がいないマーケットを自ら作っていますし、参入障壁も高いので、本当に良いサービスをじっくり構築していきたいと考えています。 ダイヤモンドメディアには、経営計画や企業理念、ミッションやビジョン、クレドみたいなものは一切ありません。 会社は植物のように勝手に成長していくと考えているので、成長に邪魔なものを取り除く作業を突き詰めてやっていきたいです。 ただ、こういう経営も業績的な結果を出さないと世の中は耳を傾けてくれないと思うので、業績にもこだわっていきたいと思います。 中村 そういう意味では世にいうビジョナリーカンパニー的な考え方とは違った経営をされているんですね。 武井 そうですね。 自然の摂理に則った状態を作りたいなと考えています。 言ってしまえばそれがビジョンなのかもしれませんが、「うちの会社はこの業界でこうして行こう」みたいな物を掲げるつもりはこれから先も全くありません。 中村 自然に人のあるがままに組織を運営していれば、そこから自発的に価値あるものが出てくるだろうという考え方でしょうか。 武井 そのほうが世の中が必要としているものをちゃんと提供できると思いますし、世の中に必要とされないものをエゴで作ってしまうこともないと考えています。 とにかくプロセスを大事にし、みんなで共有していいものを作っていくということを続けていきたいと考えています。 ISAOはビジョンを叶えるために 中村 考え方の立て付けと順番は僕とちょっと違いますね。 僕はやはり「やりたいことがあるべきだ」と考えています。 それがISAOのミッション、ビジョン、中期ビジョンであり会社の方向性をざっくりと決めています。 そこに向けて、世の中をこう変えたい!という熱い情熱が必要だと思っていますし、そのために僕たちは集まっていると思いたいです。 ただ、それをやっていく中で派生するものは積極的に受け入れていきます。 武井 そういう考え方のアプローチもありますよね。 中村 これからのISAOの経営課題は、業績V字回復からの成長をさらに1段加速させるための経営をしなければいけないと考えています。 フラットでオープンで楽しいこのISAOを守るために、自分たちが強くならなければいけません。 ISAOのミッション・ビジョンを叶えていくためも、楽しさとともに厳しさも持ち合わせたチームにしていく必要があると感じています。 今日の対談では、お互いの共通点や違いについて深く知ることができ、気付きもたくさん与えて頂き、とても勉強になりました。 ありがとうございました。 武井 ありがとうございました。 お互いの組織の在り方や目指すものについての理解が深まったところで今回の対談は終了。 しかし、話は尽きることなく、この後も場所を変えて熱く熱く語り合ったのでした。 武井さん、どうもありがとうございました! 対談のお相手 武井浩三さん ダイヤモンドメディア株式会社 代表取締役 共同創業者...