• 僕が経営参画する人に求める、たった一つのコト

    役職・階層がないバリフラットのColorkrew(カラクル)ですが、会社の経営に関する重要な方針の話し合いに関しては、経営プロジェクトのメンバーが決めていく仕組みになっています。 この経営プロジェクトとはどうやって運営されているのか、そして経営プロジェクトメンバーを僕がどう選んでいるのかを書きたいと思います。 経営プロジェクトのリーダー 経営プロジェクトの、プロジェクトリーダー(PL)に関しては、現状僕がやっています。 バリフラットシステムでは、複数のプロジェクトに入るのが基本ですので、もちろん僕も他のプロジェクトに入っています。 そしてその場合は、メンバーとしての参画です。 PLとして、僕の最も重要な役割は、そのプロジェクトにおいて必要な人材に声をかけ、参画してもらうことです。 僕がメンバーに求めること 僕が経営参画するメンバーに求めることですが、基本的にはたった一つです。 それは、「なにができるか」ではなく、「なにをすべきか」を考えて発言するということです。 経営プロジェクトで決まったことは、実行に移されます。 現実的に実行を担当する自分を想像すると、「この課題は、理想としてはこうすべきだけれど、それは現実問題として社内からの抵抗があったり、オペレーション的な課題も大きいので、言わないでおこう」とか、「ちょっと妥協して違う提案をしよう」なんて思いたくなることは多いものです。 こうやって「なにをすべきか」を避け、「なにができるか」に発言が向かってしまう人は経営メンバーとして失格です。 すべきことを、100%できるわけではない こういう話をすると、「そんなのは理想論で、現実としては、理想通りできないことは沢山あるんじゃないか」と反論したくなる人もいるでしょう。 その通りです。 ただ、経営プロジェクトのメンバーが肝に銘じなければいけないのは、”すべきこと”と定めたことが、できないとき、それは**「自分たちはできていない」と内省し続ける**ことです。 内省しつづけるのは、苦しいことです。 多くのことで、”すべきこと”ができていなければ「自分はいい感じでやっている」と自分たち自身に言うことはできなくなります。 カラクルでも「すべきこと」と認識していても、できていないことはたくさんあります。 大切なことは、できていないことをごまかさず受け止めて、いつかできるようにするというコミットメントを持ち続けることです。 「なにをすべきか」はどんな仕事にも通用する考え方 実は、この考え方はどんな立場の人にも同じように重要なことです。 特に若くて、組織の中での影響力がまだ小さく、自分の正しいと思ったことを仕事を実現しづらい立場の人。 多くの職場では、会社や部署の都合で、本来すべきこととは違ったことを不本意ながらしなければならないことも多いでしょう。 そんなときでも、まずは自分が”すべきこと”と思っていることを相手に正直に話しましょう。 その上でそれを実現するための努力を100%してください。若くて、組織の中でまだ自分の考えを通す力がない人でも、正直にコミュニケーションをし続けることは可能なのです。 そして、結果としてできない場合は、申し訳ない気持ちとともにそれを相手に伝える。 これを愚直にし続ければ、社内外に価値観を共有する仲間が増えていく。 価値観を共有する仲間を増やすことは、自分の実行力のレベルアップに直接的にインパクトするのです。 そうやって真摯に物事に取り組み続ける。 そのうち自分の実力が上がり、組織の中での存在感も強くなっていけば、”すべきこと”が段々できるようになっていきます。 こういった姿勢は、経営プロジェクトに参画するようになってからいきなりできることではありません。 やり続けることで基本動作にまで昇華することが重要です。 「なにをすべきか」を積み重ねてきた人を、今後も経営メンバーに入れていきたいと、プロジェクトリーダーとしての僕は考えています。 <大人気コンテンツ>組織やマネジメントに関するセミナー開催中!
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  • 組織に歓迎される批判、嫌われる批判

    自分が所属する会社や組織に対しての批判について、書きたいと思います。 権威主義的なマネジメント感を持っている人は「組織を批判する人を許容するなんてとんでもない」と考えがちです。 しかし、昭和や平成ならともかく、令和の時代はそういったマネジメントは通用しない時代です。 Google のピープルアナリティクスチームは、「心理的安全性」をハイパフォーマンスな組織であるための条件の中で、最も重要な因子と結論付ました。 心理的安全性とは、自分が思っていることを発言しても、組織は受け入れてくれるという確信です。 みな批判を発信してもいいし、それを組織は受け入れなけばならないということです。 とはいえ、批判ならなんでもいいのかといえばそうでもない、と僕は考えています。 批判にもいい批判、悪い批判があると思うのです。 誰でも不満や批判はあるもの 特定の会社や組織にいて、そこに全く不満や批判がない人はどのくらいいるでしょうか? ほとんどいないのではないでしょうか。 コロナでの会食時自粛が長期化したいまや、見ることもできなくなりましたが、夜の居酒屋にいけばサラリーマンたちが自分の会社や上司の悪口を言いまくって、ストレス発散しているなどという光景は日常茶飯事でした。 そういう人たちっていまはどうしているんでしょうか。 イマドキは、オンライン飲み会で発散してるんでしょうか。笑 完璧な組織はありません。 組織の運営やルールを、尖らないように尖らないようにと設定すれば、全体として凡庸で面白くない組織になる。 つまらないという不満が常に上がるでしょう。 といって、特色のある運営をすれば、それを嫌う人も必ずでてくる。 結局、どんな組織運営をしても、少なからず不満や批判は出てくるものなのです。 批判には、嫌われる批判と歓迎される批判があるということです 僕自身も過去、会社や組織の批判を沢山してきましたし、いまは、社員の批判を受ける立場でもあります。 両方を経験して少しわかってきたことがあります。 それは、ただ嫌われる批判と、そうでなく歓迎される批判があるということです。 歓迎される批判とは 批判の内容だけでなく、批判の仕方も含めて、どんな批判は歓迎されるのかを考えてみましょう。 ①前提として、組織愛があること そもそも嫌いな対象に対しての言葉は、トゲを含みがちで、なんとなく嫌なニュアンスになってしまいます。 ベースに愛があれば、そういったことはなくなります。 ②できれば記名で 理由は、批判の内容をより深く理解しようとしたときに匿名だと追いようがないことが多いからです。 記名であれば、深く話すこともできますし、誤解があれば直接説明することもできます。 ③言葉が無礼でないこと 匿名のときに多いのですが、相手を攻撃しようとできるだけ嫌な言い方をする人がいます。 レベル感が低く、そういう批判は的を射ていたとしても、取り上げられなくなる可能性があるので、誰にとってもいいことは一つもありません。 ちなみにだいぶ前のことですが、Colorkrew(以下、カラクル)の匿名アンケートで僕が一番嫌だなーと思った批判を紹介します。 カラクルのスピリッツについてのアンケートへの回答でこういうものがありました。 ”家族的キズナは、仲良しの人だけですよね” この人は、会社に不公平感を感じていたのでしょう。 僕を一番嫌な気持ちにさせたかったのであれば大正解の書き方ですね。笑 こういった投げ捨て系の書き方は、往々にしてよくありません。自分自身の人としてのレベルを下げてしまう。 匿名でも礼儀を忘れずにしたいものです。 ④建設的なこと 批判のための批判やただの悪口ではなく、その批判にしっかり立ち向かえば、その組織はいい方向に進むような建設的な批判は歓迎されます。 ⑤代替案の提案があること 〜が悪い、というだけでなく、「こういうやり方にしたらいいのではないか」という提案までセットになっている批判は、議論をする価値のあることが多いです。 歓迎されず、嫌われる批判は、全てこの逆だと考えればいいですね。 いかがでしたでしょうか。 あなたの会社を、また組織をよくするために、これからもどんどん建設的に批判をしていきましょう! <大人気コンテンツ>組織やマネジメントに関するセミナー開催中!
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  • うまくいかないのは、全てリーダーの責任

    チームはみんながんばっているのに、うまくいかないことがあります。 会社であれば、事業だったり、全体の業績。 自治体や国であれば、その地域の発展。 それらがうまくいっていないとき。 それは全てリーダーの責任だと、僕は考えています。 みんなが一生懸命やっているのにうまくいかない例 首都である東京の、ここ一年のコロナ行政は、この良い例(悪い例?)です。 まず、みんなが一生懸命やっているかという観点。 医療関係者や保健所、政策を作っている官僚、そして東京都民も、コロナに関してはかなり頑張っているのではないでしょうか。 少なくとも、明確に足を引っ張っている人はいないように見えます。 しかし現状は、保健所や医療現場は疲弊し医療崩壊の危機、経済は停滞、そしてコロナ対策という名のバラマキで、将来に負債を作りまくっている。 うまくいっているとは言い難い状況です。 コロナ行政で最も重要なのは、医療崩壊を起こさないこと。その上で、できるだけ経済を回す。 というのが、現在の多くの人の共通認識です。 (ゼロコロナを主張している人もいますが、非現実的なので、マイナーな意見に止まっています。) 医療崩壊を起こさないために最重要なのは、重症患者を受け入れることのできるベット数と、その使用率。 事業で言えば、最重要KPIです。 東京都は、昨年からずっと重症患者用のベット数は500だと発表してきました。 1月に感染数の増加に伴い、1月中旬にはなんと使用率100%を超えるという不思議なことが起こりました。 重傷者用ベット使用率100%以上は、その後1ヶ月程度続きます。 ところが、2月後半になって、まるでマジックのように突然重症者ベット数が倍増します。 それに伴い使用率も大幅に下がり、3月3日には30%になっています。 ここら辺の推移は、NHKの新型ウイルス特設サイトを参照しています。 細かくデータの推移が見られて面白いので、興味のある方はどうぞ。 https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/hospital/ 行政側には「国と、都の基準がいままで違った」とか「国の基準に合わせることを病院側にさせるのは負担が大きかった」みたいな説明をしていますが、自分たちが認定している重症患者数が、ベット数を上回るというのはどう考えても論理破綻していますので、それを1ヶ月も放置していたのは、情報操作が念頭にあったと疑われても仕方がない。 重症者ベットの使用率は、緊急事態宣言を2月7日以降も継続するかどうかの最重要指標でしたので、この数字のミスリードは致命的です。 ちなみに、この「突然の倍増」に目を奪われがちですが、そもそも1,400万人が住む東京で、コロナが始まってから1年以上経過、かつこの事態は十分に予見できていたにも関わらず、重症対応病床が1,000床しかないことの方がさらに大きな問題だと僕は感じています。 コロナで一躍有名になった、ニューヨークのクオモ知事は、約一年前に、3,000床だったICUのベット数を1ヶ月半で10倍にしています。 ニューヨークは東京の1.5倍に満たない2,000万人弱ですので、実行のダイナミックさが桁違いであることは間違いありません。 以下リーダーの責任という観点で考えてみます。 リーダーの責任① 〜目標は何か 今回、東京都の対応の中で第一の問題点は、リーダーが目標をはっきりと示していないことです。 世界的なコンセンサスは、上述した通り「医療崩壊を防ぎつつ、経済をなるべく回す」です。 これは東京だけではないですが、日本の行政はこの目標をはっきりさせていません。 だからメンバーである我々も、リーダーが何を考えているのかわからない。 「コロナに感染したら死ぬ可能性があるから、感染拡大防止をとにかくなんでもやるんだ」という一見正論があります。 ゼロコロナの主張です。 感染防止だけを考えれば、戒厳令を敷き、本当に一歩も外にでないようにすればいい。 会社は出社禁止、満員電車も乗らない方がいいでしょう。 家族以外の人に会わなければ感染はしませんから、ゼロコロナを究極に追求すればこういった政策になります。 ただ、それだと経済は止まります。 経済が止まれば、それによって命を奪われる人(自殺を含め)がコロナ死以上にでてきます。 また、日本以外の国がなんとか経済を回そうとしている中で、日本だけがストップさせれば、ここ30年の停滞をさらに加速させ、もうすでに先進国から離脱し始めている日本は、さらにもう一段下の経済レベルに落ち込んでいくことは自明の理です。 究極のゼロコロナ政策は、「交通事故に遭うかも知れないから、子どもを家の外には絶対に出さない」とか「風邪にかかるかもしれないから、ずっと無菌室で生活させる」みたいな極端な話と似たようなものです。 リーダーの仕事は、全ての情報を総合的に考慮し「何がベストか」を決め、実行することです。 それをメンバー(東京の場合は都民)に伝えつづけ、支持をえなければ継続していくことはできない。 こういった難しい問題に関しては、どんな決定をしても、必ず反対意見がでます。 総理大臣も、東京都知事も、本当に難しい立場に立たされていることは間違いありません。
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  • 誰も悪くないのに結果が出ない、残念な組織は何が悪いのか

    今年に入って緊急事態宣言がでたことから、人の動きが止まりました。 ファイザーのワクチンの承認も下りたことで、今後コロナは落ち着いてくる流れになりそうになってます。 (どっちやねんw) というのも、これを書いているのは2月15日ですが、ブログに載るまでにタイムラグがあります。 その頃、また感染者数増加…になっていたらすいません。 みんな一生懸命やってるのに、色々残念な日本のコロナ対策 そのコロナ対策ですが、日本のコロナ対応はこのタイトルのようなことになっています。 日本のベット数は欧米に比べて3〜4倍。それに対して感染者は20分の1以下。 欧米が医療崩壊を起こしていない状態。理論的には絶対に医療崩壊しそうもない日本で、医療崩壊の危機だと、現場は悲鳴を上げていえる。 みんなそれなりに一生懸命やってるし、誰もサボってないけれど、うまく対応できていない。 不思議ですね。 理由ですが、よく言われていることは… コロナを2類感染症という、エボラ出血熱とかと同じ扱いにしているので、病院の負担が不必要に重すぎる コロナを受け入れると他の患者が減るので、経営的観点から民間の病院はなかなかコロナを受け入れない 病院や、個人に対して強制力のある施策を打つことができない日本の法律 政治が何かをしようとすると、足を引っ張るマスメディア などなどですね。 専門家の方々がたくさん説明していますので、興味ある方は色々みてみてください。 マネジメント観点で見ると面白いです。 実はこれは「みんなが一生懸命やっているのに、全体としては結果が悪い会社や組織」と同じ構造です。 悪い状況で、リーダーが何もできなくなる理由 コロナのような悪い状況下におかれた場合、何をやっても、完璧な対策はありません。 ですから、批判する側は、リーダー(この場合は政治)が何をやっても文句をつけることができます。 緊急事態宣言を出さなければ「緊急事態宣言を出さないから感染者が増えた」 出せば出したで「緊急事態宣言で経済が止まって、困窮している人が増えた」 ワクチンを確保しても「副反応の責任は誰が取るんだ」 そうやって、ワクチンのネガティブキャンペーンをしておいて、接種した人が少なければ「仕切りが悪い」 何をやっても、ネガティブなことを言われます。 ネガティブなことを言われるだけでなく、責任を取らされたり、訴えられたりする危険もある。 こういった状況の中で、弱いリーダーが取るオプションは「議論を呼ぶようなこと、現状を大きく変更するようなことはしない」です。 本来ならば、全体的なバランスを見て、大局的に判断し行動しなければならないリーダーが、保身のためにその機能を果たさないことで、結果として全体が停滞してしまうのです。 安易なポピュリズムは危険 以前、大切なことは多数決では決めてはいけないという記事を書きました。 ▼バリフラットができるまで ③〜多数決では改革はできない~ ここで書いているように、多数におもねると、本当に重要なことができなくなることが多い。 ただ、だからと言っていつも強引にしてしまうと、みんなが嫌になってしまいます。 この按配が難しい。 リーダーは、一時的には賛否があったとしても、総合的に成果を出すことで、みんなが納得している状態を維持しなければならないのです。 リーダーだけの問題ではない と、ここまでリーダーについて考えてきましたが、実はメンバーのリテラシーも重要です。 メンバーのリテラシーという観点で例を挙げます。 環境や人権の中長期的、かつ世界的な課題。 これらは、多くの人がしっかり取り組まなければならないと漫然とは思っているものです。 その議論をリードしているのは、経済的にトップであるアメリカではありません。 ましてや、第二位の中国でもないですし、三位の日本でもありません。 それらをリードしているのはいつもヨーロッパの国々です。 ヨーロッパが環境や人権の中長期的な課題において、近視眼的にならずに、世界をリードできるのは、市民のリテラシーが高いからだと僕は考えています。 企業におけるメンバーのリテラシーは、リーダー目線・経営目線・全体最適で考えることができるかということが指標です。 リテラシー向上を加速させる組織運営とは リテラシーを上げる要素は二つです。
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  • 組織をダメにする正論に打ち勝つ方法

    「正論」について書きます。 正論(せいろん)は、道理を説く論について正しいものであると評価する呼び方である。事実に関する議論や認識論について用いられることはあまりなく、ほとんどの場合が「**であるべきだ」という当為についての論である。 〜Wikipediaより 組織の中で使われる正論には、”悪性”のものが多く存在します。 その退治のしかたを考えてみましょう。 良性の正論 正論は理にかなっているので、まともに反論はしづらいものです。 それを言うことで、チームにいい意味でショックを与え、一気により良い方向に転換できるように使われる正論は、良性の正論と言うことができます。 また、組織の中で役職が低い人でも、正論によって主張にパワーを持たせることができるという側面もあります。 悪性の正論 一方、建設的な議論をストップさせてしまうような使い方をされた場合、正論は悪性となります。 よくありがちなのは、「リスクはないと言い切れないならやるべきではない」「いますぐやらなければいけない理由はない」といって、新しい挑戦を止めてしまうような正論です。 特に、組織の中で権力を持った人がこれをやってしまうと、正論パワーと役職パワーの相乗効果で、非常に強いネガティブな力が働きます。 「正論なんだけど、感覚的にそうじゃないよな〜」と感じるとき。 それは悪性の正論である可能性が高いのです。 悪性の正論の定義 その正論は悪性なのか。 実は、判断するのは簡単です。 まずは感覚です。「理屈は通っている気がするけどなんかしっくりこない」というモヤモヤがあれば、悪性の可能性あり。 そして正論によって、動けない状態が作られてしまうとき。それは悪性です。 その正論は現状維持、議論の結果として、何もしないということを目的にしています。 ですから、もっともらしいことを誰かが言った結果、現状維持の結論になる場合「これは危ない」と判断しましょう。 悪性の正論に打ち勝つ方法 近年はVUCAと言われ、変化が激しく、不確実で見通しが悪い時代です。 VUCA(ブカ、ブーカ)はビジネス用語。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を並べたアクロニム。1990年代後半にアメリカ合衆国で軍事用語として発生したが、2010年代になってビジネスの業界でも使われるようになった。「今はVUCAの世界になった」というような文脈で使われることも多い。 〜Wikipediaより そんな時代に、「現状維持」を続けていくという選択肢は、安全ではなく最悪の戦略なのです。 変わり続けなければならない。 ですから「現状維持という選択肢はない」という(良い)正論をまずぶちかますことで、悪性の正論をシャットダウンしてしまいましょう。 そもそもそんな正論を言う勇気がない!? 間違っているのが分かっていながら、現状維持派に巻き込まれて、会社全体が劣化していくのを黙って見ているのか。 それとも勇気を出して、悪の正論に打ち勝とうとするか。 どちらがロイヤルティの高い、組織にとって大事な人なのかは言うまでもありません。 <大人気コンテンツ>組織やマネジメントに関するセミナー開催中!
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  • 良さそうに見えて、ダメなリーダーとは

    バリフラットな組織運営をしているColorkrew(カラクル)では、役職や階層はなく、プロジェクトごとにリーダーがいます。 社歴や年齢に関係なくリーダーが選ばれていくこともあり、経験豊富で力強く引っ張っていくリーダーもいれば、リーダーとしての経験があまりなく、リーダーシップを発揮しきれない人もいます。 ちなみに、僕自身に関して言えば、バリフラットの中で、会社全体の経営プロジェクトのリーダーをやりつつ、同時にその他のプロジェクトにメンバーとして参画しています。 僕が考える優れたリーダー、反対にダメなリーダーについて、過去関わってきた上司たちも思い浮かべながら(笑)書きたいと思います。 いいリーダーの条件①成果を出す リーダーは、成果にコミットし、そして成果を出すことが仕事です。 成果を出せなければ、事業であれば継続できませんし、そこにいるメンバーに安定した環境を提供し続けられないということになります。 成果を出すためには、コミット(気持ち)だけでなく、ビジョンを作り、みんなを巻き込み、プロジェクトマネジメントをするというスキルも必要になります。 いいリーダーの条件②コミュニケーションがしやすい 人あたりがよく、コミュニケーションハードルが低いことは重要です。 なぜ重要なのかというと、「必要な情報」が常にメンバーから入ってくる状態でなければならないからです。 悪い状況が起こっているのに、リーダーに言うと怒られるし、怖いのでなるべく隠すなんていうとこは、いろいろな組織でよく起こっているのではないでしょうか。 当然、悪いことを隠していても、そのうちより状況が悪化して露呈します。 その時にまた、正直に話すのではなく、うまく責任を回避するような説明をしてしまうようであると、根本的に解決することはできなくなります。 ですから、正直に話ができる環境を作ることはリーダーにとって非常に重要なことなのです。 いいリーダーの条件③エネルギーをチームに与えることができる エネルギーは人に伝搬します。 エネルギーを持つことに関して、人は3種類いるそうです。 燃えていて、周りの人も燃やす人 燃えている人に近づけば、燃える人 何をしても燃えない人 リーダーは、常に周りにエネルギーを与える人、すなわち“燃えていて、周りの人も燃やす人”でなければなりません。 良さそうに見えて、ダメなリーダーについて ダメなリーダーの定義は、上記の逆なのですが、厄介なのが良さそうに見えるけど、実はダメなリーダーです。 典型的なパターンは、 A: 人当たりが良くてチームの雰囲気はいいけれど、スキルがないので成果が出せないタイプ B: 権威主義的な統率をするので短期的成果は出すけれど、チームビルディングができないので、中期でチームをダメにするタイプ Aのタイプは、メンバーには割と好かれているけれど、会社としては困ってしまいます。 Bのタイプは、一見会社から見ると成果を出すので、良さそうに見えますが、メンバーには人気がない。 そして、中長期のサステナビリティを考えると有害です。 Bに関しては、短期だけではないレビューをしたり、チームからのヒアリングで対処することができますが、問題なのはAのタイプです。 優しいのでメンバーからは嫌われないのですが、いつまで経っても成果がでない。 こういったダメなリーダーを放置せず、しっかり周りから働きかけて良いリーダーに変えていくことがチーム力を高めるためには重要です。 ▼リーダーも組織も改革しましょう。無料のオンラインセミナー開催中!
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  • 経営者にとって最も大切なコト

    僕は、経営者という立場で15年間働いています。 初めての経験は、2006年にドイツで駐在していたときでした。 部門の別会社化により、20人くらいの会社の代表になりました。 その後、2010年に日本に帰国してすぐに、元の会社からColorkrew(以下、カラクル)に出向し、代表をすることになりました。 昨年には、親会社からカラクルそのものが独立して、僕自身は初めて会社員ではない立場として代表になりました。 サラリーマンではない経営者になったことから「ものすごく心境が変わったでしょう?」と何人かの人に聞かれたのですが、不思議なことにほとんど心境の変化はありませんでした。 その理由は、経営者として一番大事なことを理解し、行動し始めたのがもう随分と前だからかもしれません。 経営に必要なスキルとは 経営は、バランスです。 いま事業がうまくいっていても、そこにいるチームがやる気をなくしてしまえば、将来は危うい。 逆に、チームはやる気満々だけれども、事業ポートフォーリオがダメで、足元の業績がずっと悪ければ会社は潰れてしまうかもしれません。 業績を伸ばしつつ、チームのやる気を引き出すというバランスをいかに取っていくかは、まさに”言うは易く行うは難し”です。 経営は日々判断の連続です。 成長していくためには、無難な判断だけでなく、ときにはリスクを取らなければならないことも出てきます。 どんな選択肢も難しそうに見えるけれど、何もやらない訳にはいかない時などは、本当に苦しい決断になります。 苦しい決断の連続に関して、非常にうまく説明していて共感した本がありますので、以下お勧めしておこうと思います。 ベン・ホロウィッツの「Hard Things 〜答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか」 いま経営をしている人や、将来経営者になりたいと思っている人はぜひ読んでみてください。 話をもとに戻します。 現状維持を否定し、常にベターを求めて判断を量産するスキルが経営者には必要なのです。 しかし、経営者になるためにはそれよりももっと大切なコトがあると僕は考えます。 それは経営者としての「覚悟」です。 最も大切なコトを学んだ2006年の話 僕がそれを学んだのは2006年にドイツで初めて会社を作る直前の経験でした。 作る予定の新会社は、部門を切り離した子会社です。 銀行に直接借入もせず、親会社が必要な金額を貸し出してくれるという体裁でした。 はっきり言って僕は、それまでの中間管理職的な役割の延長線上で考えていました。 別会社化することで、最適なオペレーションにできることのメリットは享受し、リスクは何もないものだと思っていたのです。 事件は設立の直前に起こりました。 新会社設立前、その部門を通年で赤字にしてしまったのです。 それまで新会社設立に関して、全面的にバックアップしてくれたビックボスが日本にいたのですが、その人の逆鱗に触れました。 怒られることがわかってたので、報告も少し遅れました。 というより、僕自身が直接説明する前に、知られてしまったのです。これが怒りに輪をかけました。 突然夜中に電話がかかってきて「明日日本に来い!」と怒鳴られ、呼び出されました。 そして、2ヶ月でドイツから日本に4回行くことになりました。 「オマエはわかってない!」 赤字になってしまった理由について少し説明します。 実は新会社設立前、僕は部門長ではなく、ラインに乗っていない「コーディネーター」なる、よくわからない立場でした。 ただ、日本の本社から派遣された駐在員ですので、日本に対しては説明責任がありますし、事業がうまくいかなければ、追求を受けるのも僕でした。 一方で、部門の中での権限はほぼ皆無。 正直言って「こんなに権限ないのに、なんで責任ばっかり負わされるんだ」と不満でした。笑 当時の僕の立場からは「部門長がしっかりコストや、フォーキャストなどをコントロールしてなかった」という感覚で、突然僕の知らないところからマイナス要素が出てきて、あっという間に赤字になってしまったため、僕は何も悪くない!と思っていました。 いまから振り返れば、この赤字に関して責任は感じていなかったのでしょう。 ですから「なんで赤字になった」「今後二度と同様の失敗しないためにはどうする」と聞かれたら、一応振り返りながら「こうこうします」と回答しました。 そして、「自分がやれば今の部門長みたいに穴だらけのマネジメントはしないから大丈夫です」というのが僕の主張でした。 自分としては、その部門長よりうまくシゴトをする自信もありましたし、必死でやる気持ちもありました。 最悪な場合、もしうまくいかなければ会社をクビにでもなんでもしてくれていいという覚悟もありました。 ところがビックボスは、僕がどんな説明をしても納得してくれませんでした。 (だから4回も呼ばれたのですが…)
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  • 給料はモチベーションのために上げる訳ではない

    「給料を上げても、ロイヤルティが高まるわけではない」という記事を見かけることがあります。 僕は、経営をうまくやるための一つの手段として給料を使うことには反対の立場です。 「なぜ?」を書きたいと思います。 そもそもモチベーションは給料で上がるのか もちろん、上がらないよりは上がった方がみんな嬉しい。 だからモチベーションは下がりはしないでしょう。 ただ、それは一過性のものであり、上がった給料に慣れればそれが当たり前になり、モチベーションとは関係のないものになります。 こういった文脈で「給料はモチベーションを上げないから、違う方法でやった方がいい」と言っている人がいるということですね。 では、給料はできるだけ上げない方がいいのか。 給料は、会計的には費用で、利益を減らすものですので、短期的経営効率から言えば給料上げる必要はないということになります。 本当にそうでしょうか。 経営のフェアネス 経営はフェアでなければいけません。 「できるだけ能力の高い人を、できるだけ安い給料で使いたい」というのはフェアではありません。 フェアでなければ信頼を失います。中長期でそこにいるメンバーたちは会社を離れていくでしょう。 (短期に影響を及ぼさない理由は、日本の雇用流動性の低さからくるものです。) ですから、給料においてもフェアを追求することは重要です。 それではどうすればいいのか。 それは「人材の価値が上がったときに、給料をしっかり連動させて上げる」ということです。 Colorkrew(カラクル)では、多くの会社であるような相対評価ではなく、絶対評価を目指しています。 また、給料の「原資」という考え方をなるべくせず、やはりそれぞれの人の価値に対して給料を決めるという考え方です。 もちろん資金が無尽蔵にあるわけではありませんので、原資を全く無視する訳にはいきませんが、それについては、情報のオープン化で会社としての資金の限界もみんなで理解しながらやっていくことで、給料全体の支出を納得性のあるものに近づけていく努力をしています。 人材の価値が上がるに比例して、事業による利益を向上させていくというバランスをどうとるかというのは、経営のアートと言える部分でしょう。 給料の決めかた 会社の中での人材の価値は、周りからの仕事の評価、市場での価値、経営観点での価値(会社への貢献)の掛け合わせで決まります。 人事のシステムは、それを担保するために研ぎ澄ましていく必要があります。 つまり、給料が上がるということは、自分がその組織の中で成長し、それを認められるという状態のこととなります。 「長い間いるから」という理由だけでは給料が上がらないというのは、この考え方であれば当たり前の論理なのです。 価値が上がって給料が上がれば、個人は生き抜く力を手にする 価値が上がるのと連動して給料が上がるということは、金銭的に裕福になるだけでなく、個人にとってマーケットで生き残る力を得ているということになります。 生き残る力を得ることは、社会で生きていくためにとても重要なことです。 給料はその「生き残る力」と連動するものであることが望ましいと僕は考えています。 すなわち、給料を上げる=実力を上げるという状態を作り出し、その成長環境を提供することが経営の仕事です。 成長していない状態で価値が上がらないのに、給料だけが上がっていくとどうなるのか。 まず、実力を上げていくという努力をする気持ちが薄れていきます。 ですからどんどん価値と給料が乖離してしまう。 また、いまの給料に見合っていない場合、その条件以上で転職することは難しいですので、「どんなに居心地が悪くても、いまの会社にい続ける」という、会社にとっても、本人にとってもあまり幸せではない状態が生み出されるのです。 給料を上げていくことは経営の使命 モチベーションを上げるために給料を上げるのではなく、一人一人の競争力を高め、それに連動して給料を上げていくことが、経営として社員に最も報いるための手段であり、ひいては会社全体の競争力向上にもつながっていく。 このように考えれば、給料を上げていくことは、経営の使命そのものだと言えるのではないでしょうか。 ▼組織をよりよい方向へ導くことも経営の使命です。Goalousを活用した組織改善セミナー開催中!
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  • 経営のシゴトの9割は人事!

    バリフラットという普通の会社とは違う企業経営をしているColorkrew(以下、カラクル)ですが、僕が考える経営のシゴトで、最も比重が高いのは人事です。 もちろん、これは90%の時間を使うということではありません。でもそのくらいの比重で、人事をよりその会社らしくしていくことは大切なことだと僕は思っています。 ではあとの10%は何か。それはビジョンへのリーダーシップです。 リーダーシップは、先の道を照らし先頭を走ることですが、走りながら課題を解決していくのはチームであり人材ですので、結局はそこでも人事は重要だということになります。 人事の9割は評価制度 人事に関わるものは、給与水準の決定や、目標登録、福利厚生など多岐に渡ります。 その中でも評価制度は、最も重要だと僕は考えています。 自分のやっている仕事が正当に評価されることは、もちろん重要ですし、もし相対的に不当な評価だと感じてしまえば、どんなにその会社の給与水準が高くても、不満が溜まっていくものです。 すぐに離脱とはならないかもれませんが、きっかけ次第で常に人材流出となり得る危険な状態です。 100%正解な評価制度は存在しない カラクル社内ではよく言っているのですが、100%みんなが納得する評価はありません。 人はそれぞれ主観があり、少しずつ違った価値観を持っているからです。 もちろん、その会社ごとの共通の価値観を持つことで、一定のレベルで価値観を共有はできますが、限界はあります。 評価制度を決めていくマネジメントは、それを謙虚に理解しておく必要があります。 そして当然のことながら、今ある評価制度は常に批判にさらされますので、それに耐えるメンタリティも重要です。 納得性を高めるカラクルの評価制度の取り組み カラクルでは、以下のような取り組みをしています。 自分で評価者を選ぶ360度評価 全ての評価内容を全社に公開 毎月、昇降級可能なリアルタイム昇降級 もちろんGoalous(ゴーラス)による評価機能で、その期の取り組みを確認しながら評価していますので、印象だけに囚われず、実際の活動を見ながらの評価ができるようになっています。 Goalousを利用すると、評価者は誰がどんなゴール(目標)を持って、どんな活動をしていたのか一目でわかるので、評価しやすくなります。 被評価者も自分のアクション(活動)をきちんとアピールした上で評価されるので、評価に納得感をもつことができます。 ▼評価者のコメント(Goalousデモ画面より抜粋。実際の機能を確認したい方は、こちらよりお問い合わせください。) 自分で評価者を選ぶ360度評価 まず自分で評価者を選びますから、とにかく相性が悪いだけで評価が悪いなどという事態は避けられますし、納得度はあがります。 全ての評価内容を全社に公開 そして、評価の内容を実名入りで全社公開することで、吐き捨てるような失礼な内容はほとんどなくなりました。 (以前匿名で本人だけに公開していたときには、言い方がまずいコメントが散見されていました。) 毎月、昇降級可能なリアルタイム昇降級 これによって「まだ少し課題が残ってるけど、来年まで待てないから今年昇級させよう」という中途半端な評価がなくなりました。 ▼カラクルの評価制度や評価についての考え方については、こちらでも書いています。 バリフラットができるまで ⑧〜評価制度をぶっ飛ばす~ 能力が高くても、評価されない人について 評価制度は変わり続けなければならない宿命 カラクルの評価制度を紹介しましたが、実は毎年少しずつ変化していっています。 今は、とにかく自分で評価者を選ぶなど、本人の納得性を高める方向のやり方ですが、それによって全体のバランスが悪くなってくるようであれば、評価者選びに経営が介入する必要が出てくる可能性もあると考えています。 評価に限らず、同じことを長く続けると必ず制度疲労を起こします。 ですから、常に最高に機能するようにブラッシュアップを続け、時には大変革する必要があるのです。 ▼SNS型目標管理ツールGoalousを導入して、納得感のある評価制度に変えましょう
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  • 能力が高くても、評価されない人について

    9月に入り、そろそろ人事評価が気になる時期になってきました。 どの組織でも、誰をどう評価するのかというのは、究極に難しく、永遠の課題です。 今回は、僕の考える評価について書きたいと思います。 能力をそのまま評価してはいけない訳 評価は、その組織におけるその人の価値を表しています。 では、「価値」とはなんでしょうか? 価値とは、発揮した能力です。 逆に言えば、能力があっても発揮されなければそれは価値とは呼びません。 ですから「A君は〇〇ができる」から価値が高いわけではなく、「A君は〇〇ができる能力を発揮して、成果を出すことができる」から価値が高くなるのです。 成果とはなにか 成果というと、真っ先に思い浮かぶのは”業績”です。 (業績といっても、短期と中長期や、直接的・間接的など様々にあり複雑です。今回は趣旨と外れるので割愛します。) それ以外には何があるでしょうか。 僕はあと2つ、重要な成果があると思っています。 一つはビジョンへの貢献です。 ビジョンは組織ごとに固有のものですが、ビジョンに向けてチームを前進させることは、成果として考慮に入れるべきです。 もう一つは、チームの価値観への貢献です。 例えばColorkrew(以下、カラクル)でいえば、オープン・チャレンジ・キズナという価値観がありますが、その価値観をいままで以上に高めるような貢献ができれば、それは成果と呼べるものだと考えています。 まとめると、成果とは・・・ 業績 ビジョンへの貢献 価値観への貢献 となります。 能力が高くても、評価されない人 どんな組織でも、頭が良くて能力的には抜群だけど、なんだか評価が冴えない人がいます。 その人は、業績への貢献はしているけれど、その他の2つの成果を発揮してないのではないでしょうか。 また、むしろ他の2つの成果に関しては、チームの足を引っ張っていないでしょうか。 例えばカラクルにおいて、重要な価値観の1つにある”オープン”に対して、徹底的にクローズドであり続けたいという行動をする人。 いくらいい業績を出したとしても、価値観への貢献でマイナスになってしまいます。 評価こそが、最も重要なマネジメントの仕事 組織にはビジョンがあり、ビジネスがあります。 これらを成功に導くことを最上位の目的として、会社は作られています。 そして、それを実行するのはチームであり、それを形成するメンバーです。 よって、メンバーおよびチームこそが、その組織そのものであり、何よりも先立つものです。 こういった観点で考えると、メンバーを確かな基準をもって評価することは、最重要課題であることがわかってきます。 その最重要課題である評価を、自分たちの価値観の元でフェアであると理解・納得している状態を作り出すことがマネジメントの最も重要な仕事だと僕は考えています。 個人が悪いのか、組織が悪いのか ここまで組織的な観点からの評価について書いてきました。 でも僕は決して評価されない個人が悪いとは思っていません。 人にはそれぞれの価値観があり、それが折り合える組織の場合もありますし、ときには自分の価値観とは合わない組織もあるでしょう。 また、組織のビジョンに共感できないということだってありうるでしょう。 組織の考え方と合わないけれども、もっとしっかりと評価されたいと思っている人の選択肢は以下3つあります。 組織の価値観を自分が変えていく 価値観の合う組織に移籍する(転職する) 自分で会社や組織をつくる 最悪なのは「自分はもっと評価されていいはずなのに、組織が悪いので評価されない」と長年ウジウジしていることです。 そういう場合は、周りのせいにするのを止めて、自分の価値を評価してもらえる環境に身をおける方法を考えることを僕はお勧めします。 ▼組織の価値観を変える!無料のオンラインセミナーはこちらから↓
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  • 性善説か性悪説か

    企業の運営において、性善説に立って行うか、それとも性悪説を前提にするのかということがしばしば議論に上がります。 今回は、どうすればパフォーマンスを上げつつ、みんなが幸せになれるのかを考えてみたいと思います。 性善説と性悪説 Wikipediaではこんな風に書かれています。 性悪説(せいあくせつ)とは、紀元前3世紀ごろの中国の思想家荀子が、孟子の性善説に反対して唱えた人間の本性に対する主張。「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」(『荀子』性悪篇より)から来ている。 ここで言う悪とは、「(人間は様々な意味で)弱い存在」という程度の意味であり、「悪=罪(犯罪あるいは悪事)」という意味では無い(「弱い存在」である人間が、犯罪や悪事に手を染めずに一生を終える、という事もありうる)。また、偽とは、「人の為す行い」という程度の意味であり、「偽=嘘あるいは偽物」という意味ではない(後述のように、後天的な努力や習得によって初めて獲得する性格のものと捉えている)。 一般的に性悪説というのは「人間は放っておくと自分の利益のために悪いことをする」という認識がありますが、性悪説を捉えた荀子はそう定義しているのではありません。 彼は、「性悪説」というのは、人間が”悪”であるということではなく、”弱いもの”であると定義しているのです。 性善説だけで企業が運営できない理由 僕個人は、基本的に、「人間には良心があり、自分の利益のために積極的に悪いことをする人はほとんどいない」と思っています。 しかし、世の中では犯罪も多く起こりますし、企業内で不正も沢山起こっています。 なぜでしょう。 それには二つの理由があると考えられます。 不正が起こる2つの理由 一つは”集団圧力”です。 特に日本は”和を持って尊しとなす”という文化があり、集団が当たり前にやってきたことを否定することは、心理的に難しいところがあります。 少し前で言えば、東芝の粉飾決算がありました。 (不適正会計と言っていますが、内容は粉飾決算そのものです) 社長が「チャレンジだ!」と言えば、暗黙の了解で正しくない会計をしても、集団心理の中でそれが許されてしまった事例です。 パワハラやセクハラが横行する組織も同様ではないでしょうか。 また、常識は時代によって変化していきますので、以前では問題ではなかったと認識されていたことも、今の社会では問題だとされるものも多くあります。 いま盛んにブラックだと言われている過労働も、30年前には「それが仕事ならやるのは当たり前」でした。 ちなみに僕が新卒の頃は、同期でも150時間とか200時間とか残業している人がザラにいて、それは特に問題だとはされていませんでした。残業代いっぱい出るし、遊ぶ時間はないので、お金いっぱい貯まるな〜といった感じです。 そういった時代の変化に柔軟に対応していくためには、この集団圧力の呪縛から抜け出して”正しいことを言う”ことを奨励するカルチャーを作る必要があるでしょう。 もう一つの理由は、**”規律がない”**ことです。 規律とは価値観をベースに作られていくもので、ルールとは少し違います。 ルールは、絶対に守らなければならないものですが、規律は言ってみれば、チームの中でみんなが共有した価値観に基づくガイドラインのようなものです。 ルールさえ守れば、何をしてもいいと考えるのは危険なことです。 そういう考えに基づいてチームを運営すると、モラルハザードが起こります。 ルールに基づいて交際費の名目を申請すれば実質はどうあれ、経費処理ができるなんていうのはそのいい例です。 組織運営は、性善説+性弱説で行う では、どうすればみんなが気持ちよく、最大のパフォーマンスを発揮できる組織に向かえるでしょうか。 Colorkrew(以下、カラクル)の考え方は、性善説+性弱説での運営です。 上述したように、基本的には性善説の考え方をとります。 しかし、時には自分の利益を誘導できる機会・誘惑があったり、集団圧力で正しくないことが、いかにも当然のように行われてしまう可能性がある時があります。 性弱説に立てば、人間は弱いものですから、誘惑に負けたり、圧力に流されたりします。 といって、性悪説的な考えに基づいて沢山のルールを作ると、汲々して活動がしづらくなります。 そこで一人一人に自己規律をもたらす方法が必要となってきます。 それが「オープン」です。 オープンが弱い部分を救う 全てのことをオープンにすると、皆が「正しい」と思うことを自己規律を効かせて行動するようになります。 クローズな組織では「これは自分だけが知っているから、ちょっと自己利益を考えて行動しよう」ということが成立しますが、オープンな組織では、皆が公明正大に行動しようという規律が働くのです。 ですから、性善説によるルールを最小化し、性弱に基づくリスクに関してはオープンを極めていくことで規律を効かせるというのが、カラクルの組織運営に関する考え方です。 また、全ての活動をオープンにすることは、プラスアルファのメリットもあります。 それは「活動に関するコミュニケーションを活性化させることで、価値観をより深く浸透させることができる」ということです。 性善説で組織運営を行いたいけれど、規律をどう作ればいいかと悩んでいるマネジメントの方、是非オープンを取り入れてみてください。 ▼オープンに関するおすすめ記事はこちら バリフラットができるまで ④〜オープンが先か、フラットが先か~ オープン化の鍵は、xxxを排除すること
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  • リモートワーク時代に通用しない上司とは

    コロナ渦でリモートワーク中心の働き方になり、チームの活動がオフィスで仕事をしてた時より見えにくくなりました。 そんな中、マネージャーたちは新しいマネジメントスタイルが求められています。 リアルなオフィスでマイクロマネジメント(上司が部下の業務に対して、強く干渉する管理方法)してしていたマネージャーが、もしリモートワークでも同じことをしようとしているのであれば、それは危険です。 そもそもマイクロマネジメントは良くないのですが、リモートワークでそれをやろうとした場合、その悪さが100倍になるからです。 ちなみにColorkrew(以下、カラクル)は、上司・部下が存在しないフラットな組織ではありますが、コーチ・メンバーの関係はあります。 これからの時代、なぜマイクロマネジメントは悪なのか、どうすればいいのかを書きたいと思います。 マイクロマネジメントは悪 そもそもマイクロマネジメントは、マネージャー自身の時間をたくさん使います。 それによってマネージャーは仕事をしている気分になる。 仕事をしている気分になっていても、成果に貢献していませんので、そういうマネージャーは実質的に仕事を全くしていないといえるでしょう。 部下のほうも、マネージャーのやり方を押し付けられることになるので、やる気が激減し成果が出しづらくなります。 さらに悪いことには、上司からのマイクロマネジメントに慣れてしまうと自分で考えることをしなくなる。ビジネスパーソンとしての成長も阻害されてしまうのです。 このようにマイクロマネジメントはマネージャーにとっても部下にとっても良い事は一つもありません。 リモートでのマイクロマネジメントはさらに悪 リアルなオフィスでのマイクロマネジメントはこのように問題なのですが、リモートだとさらに悪くなります。 そもそもリモートでの仕事は活動が見えづらくなっていますので、マイクロマネージャーとしては「報告をしろ」という気持ちがより強くなります。 リアルであれば口頭でぱっと説明できますが、リモートでは文章を書いたりわざわざ電話をしたりビデオ会議をしなければなりません。普段より時間がかかるのです。 なによりも、報告作業そのものは生産性がありません。 報告を起点にしてコーチングに向かえば良いのですが、報告された上で次の指示を出すと言う循環になれば、それはコーチングではなく、ただの作業員に対しての作業指示になってしまうのです。 リモートワークでこそコーチング リモートワークの状況下では、コーチングがさらに重要になります。 コーチングとは指示を出すことではなく、メンバーに寄り添い成長させ、成果を出す事をサポートすること。 良いコーチングでは、本質的で重要なことに集中して話すことができますので、お互いにとっての時間効率も非常に良くなります。 コーチングについての関連記事はこちら↓ ■中村流コーチング公開します! ■ISAO流コーチング コーチングを始める前提条件 コーチングが機能するには、前提条件があります。 それは「仕事に関する考え方をすり合わせること」 これができていなければ、どんなに話してもお互いに理解しあえませんので、意味のあるコーチングはできません。 例えば、僕が個人的に前提条件としたいと考えているのは、下記のようなことです。 ・事実と主観を分けて話すこと ・結論から先に言う事 ・都合のいいことも悪いこともしっかり伝えること ・できるだけ定量化して話すこと ・他責でなく、自責で話すこと ・ただどうすればいいと聞くのではなく、自分のアイデアを持つこと こういった前提条件に関することはとことん話し合って、すり合うことが必要です。 この話し合いには、いくらでも時間を使っていいと僕は考えています。 新しいマネジメントスタイルへ リモートワークでの働き方を取り入れた新しい働き方では、新しいマネジメントスタイルが必要とされます。 マネージャーや上司は、思い切って、指示を手放す。 報告をさせるのではなく、全員が活動を自らオープンにするカルチャーをつくる。 そうすることで、生産的・効率的で、モチベーション高くビジョンに向かうチームを作り出すことが、これからの時代のマネージャーの仕事なのです。 オンラインで組織改善セミナー開催中!お申し込みはこちらから↓
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  • 世の中にはびこる間違ったコーチング

    バリフラットで階層がないColorkrew(以下、カラクル)には上司はいません。 その代わりにコーチを自分自身で指名するという制度があるのですが、今回は全ての組織の永遠の課題「コーチング」について僕の考えを書きたいと思います。 これは僕の考え方なので、多くのコーチングの専門家の方々とは違った考えである部分が多々あると思いますが、あくまで実践的な観点でのコーチングを考えていきます。 コーチングとは教えることではない よく言われることですが、コーチングとティーチングは別物です。 しかし頭では分かっていても、コーチングをしようとして、ティーチングをしてしまうことは良くあることです。 ティーチングとは、「知識や技術を一方的に教えること」。 僕の定義するコーチングとは、以下の通りです。 「メンバーの成長や、業務の目標に向けて、持っている力を最大限に引き出すためのアシストをすること。」 ティーチングとのミックス とはいえ、コミュニケーションの100%をコーチングでおこなってしまうと、最大限の効果を発揮することができないと多くのコーチが実感しているのではないでしょうか。 100%コーチングという”アシスタント”になりきれるのは、エグゼクティブコーチングなどに限られると僕は考えています。 メンバーのレベルによって、ティーチングミックスの最適度は変わってきます。 最もティーチングの比率を多くする新入社員の場合には、ティーチングを20〜30%程度混ぜます。 ここで重要なのは、ティーチングの比率は高くても30%に留めるということです。 それ以上やると、コーチングからティーチングにコミュニケーションの質が変化してしまうのです。 なぜティーチングミックスが必要なのか 一言で言えば「前提条件となる視界を広げる」「視座を高める」ためです。 単純な例を出します。 これから、世界で活動しようとしているメンバーがいるとします。 でもこのメンバーは、日本しか知りません。海外があるということも知識としてない。 要は「前提条件が足りていない」状態です。 そんな場合は、まず視界を広げるために「世界という概念」をティーチします。 その上で、世界の中で自分がいる日本の位置づけを教え、世界の各地域のざっくりとした情勢や関係性を知らなければならないことを教えます。 ここで重要なのは、コーチは「視界を広げる」ために教えるのであって、内容は自分で学ばなければならないということです。 別の言い方をすればコーチが与えるのは「きっかけ」であって、授業ではありません。 ティーチングというよりは、学ぶきっかけづくりに意味的には近いかも知れません。 逆に言えば、視野を広げたり、視座を高めたりする必要がないメンバーに関しては、ティーチングは無用です。 コーチングスタートまでの準備 コーチがきっかけを与えた後は、メンバーは自分でそれを学びとる必要があります。 それができて初めてコーチングをスタートすることができます。 自ら学ぶものは大きなものもあり、小さなものもあります。 大きなものを学ぶ場合は、十分にインターバルを取ることをお勧めします。 小さなものであれば、その場で学び、進めていくことができます。 いよいよコーチング いよいよコーチングの始まりです。 具体的な方法論については、以前「中村流コーチング公開します!」で詳しく書いていますので、そちらを参考にしてもらえればと思います。 https://blog.colorkrew.com/nakamura-like-coaching/ メンバーとコーチで、ファンダメンタルとスキルの両軸で「あるべき姿」を洗い出します。 ここで重要なのは「押し付けない」ことです。 ティーチングは「これが正しい」ということをメンバーにわからせるということですので、ある意味押し付けです。 あるべき姿を粘り強く、メンバー主体で考えましょう。 「メンバーが考えることができないのです」なんて声も聞こえてきそうですが、ここはぐっと我慢します。 自分で考え抜いて、決めないとその後の工程が全ておかしくなります。 あるべき姿は、メンバーが自分で納得するだけでなく、コーチも客観的に見て「これがいい!」と思えるものを目指します。それにより独りよがりで、意味がない目標を立ててしまう危険を回避します。 人は自分が納得したことしかやらない なぜ僕がここまで「自らが決める」ことにこだわるかというと、人は所詮自分が納得したことしかやらないからです。他人が決めたことに納得する人はいません。 人は自らが決めることで、初めて主体的になり、力が発揮できるのです。 冒頭に「持っている力を最大限引き出す」と書きましたが、まさにそのためにはこれが必要なのです。 いいコーチはツッコミがうまい 具体的な目標、活動計画を立てれば、あとはコーチは伴走し、アシスタントに徹します。
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  • 管理なんてしたくないのに、管理をしてしまうマネジメントについて

    世の中の多くの会社員は**「人に管理されたくない」**と思っています。 それと同時に、多くの管理職も**「管理なんてしたくない!」**と思っていいます。 どちらの立場も経験した僕が理想とする組織の姿は、やはり**「人が人を管理しない」マネジメント**です。 しかし、みんなが管理なんて嫌いなはずなのに、なぜ会社は管理しようとするのでしょうか。 いや、むしろ管理を通り越して**「監視」してしまう組織もあるのはなぜでしょうか。** そのメカニズムを考えてみたいと思います。 管理職の「管理したくない」気持ち まず、管理すると、うるさがられます。 人間誰しも好かれたい。 だから嫌われるに決まっている管理なんて本当はしたくないと思っている管理職は多いはずです。 そもそも自分が管理される立場だった時は、それが大嫌いだったのだから。 でも自分のさらに上司からは、**しっかり結果をだせ!**と言われる。 放っておけば、パフォーマンスが上がらない。 だから部下たちがしっかりやっているか、監視したり、管理したりしだします。 これがひどくなると、マイクロマネジメントマネージャーが出来上がるのです。 慣れてくると「管理したくなる」気持ち 本当は管理なんてしたくなかった管理職たちが、管理することを習慣化してしまうと、おかしなことが起こり始めます。 管理、言い換えれば**「人を支配する」**ことに快感を覚えるのです。 そしてそれは、権力を持ったときに、誰しもが感じてしまいがちなものです。 上司と部下の関係は絶対です。 上司が部下を評価する組織では、部下は逆らうことは基本的にできません。 もちろん、部下も自分の意見をぶつけたりすることはできますが、最終的には上司に従わざるを得ない。 慣れてしまうと、それが当たり前になり、それ以外に組織マネジメントできる方法が分からなくなってしまうのではないでしょうか。 目標やキーリザルトの共通理解ができていない 僕が考える「管理せざるを得ない」ことの根源的な原因は・・・ ビジョンや目標、それに向かうためのキーリザルト(注)が明確化され、チームで共通理解になっていない。 (注)ゴール達成のために必要な指標が具体的に示された主たる成果 シンプルにして、最高に難しいのがコレです。 難しいですが、これさえできれば、実は管理しないマネジメントに向かうことができます。 なぜ共通理解ができないのか 共通理解ができていない会社や組織は**「ビジョン」がない**可能性が高いです。 「いや、うちの会社にはビジョンがしっかり掲げられているよ」と反論する方もいるかも知れません。 僕なりの解釈でいうと、ビジョンとは、その組織に人が集まってくる「理由」です。そして、社員は「ビジョン」を目指すためにそこに集まっているはずです。 こんなことを言うと「そんなことは理想論で、現実的には会社に入るのはビジョンを目指すためではない人が多いよ」と言われるかも知れません。 また多くの会社のビジョンはお飾りであることが多いことは否めません。 そういった場合、共通理解を持とうとすることは非常に困難になります。 辛口になりますが、その程度のビジョンであれば、捨てた方がいい。 例えば、「利益をより多く出す」「会社を拡大し、ステータスを上げる」「業績拡大し、社員の給料も上げていく」「そのためには、数字にこだわる」などと、正直に伝えた方が、よっぽど社員も納得するのではないかと思っています。 かっこいいことを言ってるけれど、口だけでそれを信じていない経営は、社員からのリスペクトを得ることは永久にできないと僕は思っています。 数字だけが目標になっている組織ほど、結局「管理」してしまう ビジョンがなければ、何を目指して仕事をするかといえば、やはり業績などの数字でしょう。 数字を目標にすると、自発性をもって仕事をする人と、そうでない人にはっきり分かれてきます。 自発性のタイプは、世の中でいう**「モチベーションの高い人」**でしょう。 そうでない人は**「あんまりやる気のない人」**なのかも知れません。 あんまりやる気のない人は、自ら考えて積極的に仕事をしようとはしませんので、監視や管理をしなければ、サボることになります。 こうして**「管理しよう」**というマインドセットが出来上がります。 今回は「管理をしてしまうメカニズム」についてでした。 監視しない、管理しないマネジメントについては、ぜひGolaousセミナーで! ▼Change ISAO to Colorkrew.
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