今年、還暦を迎えた小泉 介更さん。
元々、中間管理職「事業部長」であったのに、現在はなんと営業のトップ成績を取り続けるスーパー還暦営業マン!
そんなISAOの営業チームを強く、また自分自身もトップを走りつづける小泉さんに終業後、インタビューさせていただきました!
年齢は関係ない。成長し続ける還暦トップ営業マン
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終業後、社内のキッチンスペースでお疲れ様の一杯とともにインタビュースタート♬[/caption]
原田:小泉さん、改めて還暦おめでとうございます!
小泉:ありがとうございます!
原田:今年、会社で還暦パーティーを開催されていましたが、改めてご自身の気持ちの変化やなにか感じられたことはありましたでしょうか?
小泉:あのね、そもそもね!還暦ってなにって話になっちゃうんだけど。笑
還暦って十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせが60種類あって、干支が一回りするのが60年。だから人間は60歳も生きれば上等という時代の産物なわけですよ。でもね、今は人間100歳生きる時代だから、本当は十干と十二支に裏表つけて120年で還暦にしたほうがいいと思うんだよ。
原田:120歳!!だいぶ長生きですねっ!
小泉:120年生きればさ、**「120歳よくそこまで生きましたね~」**ってなるでしょう?
120年もあれば、だいたいの人がそこに収まるだろうしね。
60歳で還暦というシステムはもはや現代には合ってないですね。笑
原田:なるほど。60歳なんてまだまだだぞって感じなわけですか。
小泉:そう、だから自分ではあんまりピンとこないんだけど。ただ、せっかく「還暦」と言ってお祝いしてもらえるんだから、生まれ変わった気持ちで、もう一回人生やろうかなって気持ちにはなりましたね。
原田:なるほど~。新たな気持ちになったわけですね。
中間管理職「事業部長」を捨てたワケ
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原田:小泉さんは、50代で営業職に変わられて、今やTOP営業マンになった伝説のお方だと聞きましたが、何歳のときに営業職になられたんですか?
小泉:僕は56歳ですね。なんだかんだ4年経ちましたねぇ。
原田:4年ですか~。営業職の前に、小泉さんは役職のあるポストにいらっしゃったと伺いましたが。
小泉:そうそう。「事業部長」っていうとても素敵な役職をいただいていて、ザ・中間管理職で生きていましたよ。笑
原田:その役職をいらないって言いだしたのが小泉さん??
小泉:いや、僕が言い出したわけではないんだけど。ちょうどバリフラットができる2015年、たまたま当時の親会社のインドの子会社に6ヶ月間赴任することになったんですよ。
原田:えー、そうなんですか!小泉さんがインドに行かれていたのは初耳でした!
小泉:あ!そもそも僕がインドに行くことになったのはね、当時、ISAOでこれから色んな関連会社とか機会があるごとに海外に人材を出そうという動きがあって、若手がちらほらシンガポールだとか色々海外に行き始めてたんですよ。で、代表の圭志さんとたまたま飲んでいた時**「今頃の若い奴らは海外にいけていいよな~」**って話をしたことがあって。
そしたら、飲んだ翌日にインド行きが決まってたんだよ。笑
原田:えー?翌日に決定っ!?
小泉:そうそう。**まさか昨日の今日で!?**と一瞬思ったけど、まあでも、ISAOっぽいでしょ。
原田:そうですね。笑 インドには営業としていかれたんですか?
小泉:いや、営業としてじゃなくて、人事というか管理部門みたいな役割で。
当時、インドは経済成長が著しくて転職率が高くて、定着率が低い点が課題になっていて。それは評価システムとかが整備されていないという事情があり、その周辺のガバナンスがきいていない部分の立て直しや教育的な役割で行くことになったんですよ。
原田:なるほど!
小泉:でもね、その前に布石として、ISAOは急に英語を勉強しないといけないって流れになったでしょう?僕も当時、全然TOEICスコアが足りなくて、会社の英語学習補助制度を使わせてもらったんですよ。
50代の僕がね、なんと留学を志す高校3年生とともに肩を並べて勉強するというプログラムに入ったんですよ。
それはもう6週間死に物狂いで勉強したよ。
でも、そのおかげでTOEICスコアが160点くらいUPしたかなー?今ではいい思い出だけどね。
そういうのもあったから、ちょっと海外に行きたいって気持ちも芽生え始めてて。
そんなタイミングで、インド行きのチャンスをもらえたから。有難かったですよね。
原田:なるほど~。努力がちゃんとチャンスを呼んでますね~!
小泉:それで、インド行きが決まってから半年くらいかけて事業部長のポストを若手に託して、僕は役職を引き継ぎ、フリーでインドに飛び立ったわけです。
インドから帰ってきた元中間管理職の無力な自分との闘い
原田:ISAOに戻ってきてからは、元々のポストに戻られたんですか?
小泉:いや、それがね。僕がインドから帰ってくる頃に、当時の経営陣たちが小泉どうするか?ってなったらしいんですよ。で、僕みたいな元々役職があった人たちが海外から帰ってきたときに、普通の会社だったら、またその人に役職つけるために新たな部署作るとかあるんでしょうけど、そういうことが面倒だし、ISAOらしくないよね、**もう管理職とかやめよう!**ってなったようですね。
だからまあ、僕がきっかけにはなったようですね。
原田:なるほど。だからバリフラットが生まれたきっかけが小泉さんとよく耳にするわけですね!
小泉:そういうことですね。
原田:それで、小泉さんはインドから帰ってきたタイミングで営業職になられたんですか?
小泉:いや、帰ってきてすぐ営業になったわけではないんです。
帰ってきてからWEB事業とかに携わってみたりしていたんですけどね、専門でやってたわけでもないし、自分じゃたいして出来ないわけですよ。だって、中間管理職だったんだもん。笑
何ができるって、なんにも出来ないんだよ。
で、営業でもやってみるかってなったのが始まりでした。
原田:営業もそこからゼロスタートってわけですよね?
小泉:そう。ISAOはバリフラットでしょ?上司がいるわけでもなく、ルート営業みたいにお客様がいて行く当てがあるわけでもないんですよ。だから、営業になってから最初の2ヶ月間くらい何にもすることがなくて。正直、途方に暮れてました。
商材の勉強とかはもちろんしてたけどさ、営業が会社にいるのって本当にかっこ悪いわけですよ。
原田:それは営業的にはつらい時期ですね。
小泉:そう。それである時、他の営業メンバーから、展示会のパンフレットを渡されて「この展示会でも行ってみたらどうですか?」って言われたわけですよ。
で、行ってみたわけですね。
でも、初めて展示会行った僕はただただ圧倒されたわけです。だって、みんなそれぞれがソリューションを売りに来てるわけですよ!
何していいかわからなかったから、とりあえずブースの人と立ち話して、人の話を聞いて、最後の最後に勇気を振り絞って「すいません、、、僕はこういう者なんですが、もし良かったら話聞いてもらえませんか?」って話をした後、もう「これしかない!」と思って片っ端から聞きに行ったんです。
これ、俗にいう「逆営業」っていうやつですよ。一番嫌われるやつね。笑
でも、本当に行く先が欲しい一心でがむしゃらだった。
原田:確かに。展示会で「逆営業」なんてなかなか話聞いてくる人少なそうですね。
小泉:あからさまに嫌な顔されたりするし、まあまあ辛いですよ。
でも、これをしたことによって少しずつだけど話を聞いてくれる人が出てきて物事が動き出したかな。
そういうところから始まって、どんどん紹介や繋がりが増えてきて、どんどん楽しくなってきた感じですね。
原田:結構泥臭いところからのスタートだったんですね。トップ営業マンの小泉さんってイメージでいたのでそういう苦しい時代の小泉さんが想像できてなかったです。
小泉:いやーほんとそうだよ。2年くらい経って今みたいに**「トップ営業マン」**というような言われ方をするようになったけど。
それは相手があることだから。たまたまラッキーパンチだったっていうことですよね。いい時もあるし悪い時もあるからね。
**今でもトラウマですよ。**行く先が途切れるっていうのが一番怖い。
でも、そういう地道な行動をしながら営業を続けていると、昔回ったお客様から連絡もらったり、他の部署の人を紹介してくれるようになったんですよ。
「石の上にも三年」というけど、ほんと3年目あたりくらいからほんと急にそういう繋がりが増えてきたかな。有難いですね。
原田:地道な努力って大事ですね。
小泉:でもね、今でも展示会に行くんですけど。いまだに最初の30分、1時間くらいは現場の雰囲気を感じるだけで全然声かけられないんだよ。
原田:えー?誰でも気軽にお話してそうなイメージですが。
小泉:いやぁ、やっぱりいきなり声ってかけられないんですよ。
こんな慣れた僕でもやっぱり怖くて。でも、ちょっと時間が経ってくると自分でブツブツ言うんですよ。
**「何やってんだ俺、勇気を出せ・・・」**とか言いながら、自分を奮い立たせて1件、2件と話をしていくとだんだん自分の調子もあがっていく感じですね。
だから、展示会は学びが多いんです。
心から楽しむ。楽しんでやらなきゃ売れない
原田:小泉さん、Goalousの写真からも伝わってきますけど、ほんとにいつも楽しそうですよね?
小泉:やっぱさぁ、自分が楽しいものしか売れないよ。
ほんとに、営業の時間が一番楽しい。
たまにね、「外歩くの大変じゃないの?」って聞かれるんだけど、全然違うんだよ!
だって、お金もらってエクササイズできるんだもんな!!
最高でしょ?笑
原田:なんてポジティブ!!名言!笑
小泉:だからね、数日でもアポが取れないで会社にいると体の調子がなんか悪いんだよなー。
だから、健康のためにアポを取るようにしています。笑
原田:やばい。またまた名言です!!
原田:小泉さんのお話聞いてると、私までもう一度営業マンやりたいなーって気持ちになってきました。
小泉:いやぁ営業楽しいよ!ISAOの営業は結構「放置プレイ」だけどね。笑
還暦をすぎた今が一番「成長期」!?
原田:小泉さんが思う、ご自身の ISAOの中で最大の成長ポイントは?
小泉:うーん、でもやっぱ営業になってからからかなー。多分今が一番成長してると思う!
原田:進行形ですか!還暦越えた今が「成長期」ですかぁ。
小泉:まぁちょっと息切れ気味だけど。笑
今でもつらいんだよ。年々生きているだけで疲れるんだけどさ。笑
50代越してから、びっくりするくらい体的にはすごく疲れる。
でもね、楽しいから精神が引っ張ってくれるって感じかな~。
原田:いやぁ、小泉さん、ほんと天職ですね。
小泉:座右の銘は**「死ぬまで生きる」**だからさ。当たり前だけど。
そう思ったら、もう怖いものはあんまりないよ。
原田:ISAO流の**「成長し続けなれければならない」**に疲れたりしないですか?
小泉:いや、そりゃ疲れるわ!笑
60歳越えても、やれバリフラットだ、英語だ、成長しろだ言われるんだからさー。笑
極めてパーソナルな心の中を語るならね、当時、役職を手放すとき正直なところ、不安ですごく怖かった。これから自分はどうなるんだろうって。
でもね、予感はあったかな。こういうのがあるべき姿なんだろうなって。
だから不安と反発だった。
でも、どうやら悪いことではないとは思ったし、他人事だったら賛成してるけど、自分ごとだったから受け入れられない感じだったのかな。
だって、老後を前に役職なしになって普通は悔しいわけですよ。でもね、その悔しさにどうやって勝てるかなって思ったんですよ。
原田:悔しさに勝つですか…?
小泉:僕の仮説はね、ISAOという会社、そして**中村圭志に感謝できたら俺が勝ち**だって思う。
今営業やってて心から楽しくて、こんな自分でいられたのはこの会社とこの男のおかげだって、心から感謝し喜べたら勝ちだと思う。
心から感謝と喜びを得ることができたら過去の自分自身には決着がつけられるなって。
原田:なんかすごい領域だなぁ。。。
小泉:最終的には、どんな環境でもENJOYできるか。それが自分が幸せになるポイントだよ。
これからの理想の自分
原田:還暦を越えてもなお、トップを走り続ける小泉さんの原動力は何ですか?
小泉:まず、歩けることに感謝だな!笑
今ね、自分の親を介護するようになったから老人ホームに行くことが多くなって、すごく思うことがあるんだけどね。
ISAOは**「成長しろ成長しろ」**ってうるさいけど、これってあながち悪いことではないんだよ。
自分が元気な時に、なにかにチャレンジしたり、趣味を見つけたり、っていうクセがついている人間は、老後自分の体が不自由になったときも、向上心や学ぶクセみたいなものが身に付いてて。
そういう人はそれなりに老後も楽しめていると思う。
だから、この助走期間をどう過ごすかが大事だと思う。
原田:確かに。そう言われると最初は辛かったことでも、慣れてクセ付けできれば大したことないってことたくさんありますね。
小泉:あとね、僕の**今の目標は社葬だから!**笑 ISAOで第1号になりたいんだよ!
究極、**アポ先で営業しながら死にたい。**これは最高の終わり方だな!
原田:社葬!?なんとびっくりな目標ですが、小泉さんらしいです。
最後に一つ。これから挑戦したいことなどはありますか?
小泉:挑戦したいことは2つあります。
1つ目は営業として**「ISAOにあるものをすべて売る100%マルチ営業マン」**になること!
なぜならばあきっぽい性格だからもあるけどさ。笑
でも、まだすべての商材を売れているわけではないから。早くISAOのあるすべてのプロダクトを売れる人間になりたい。
もう1つは、今自分の世代にあったITの関わり方というか、高齢な人に向けたプロダクトを営業目線からプロデュースできる人になることが夢かな。
自分の世代でIT環境でバリバリやってる人はやっぱり少ないから、自分のポジションを生かして、ITで来たる高齢化社会になにか素敵なソリューションを提供するミッションが僕にはあると思っています!
原田:なるほどー!!小泉さんならすぐに実現しそう!!
小泉:最後にね、もう1つ言っておくけど、ISAOは**「英語やれ英語やれ」**っていうでしょ?僕はね、最近悟ったことがあるんだよ。
今、自分の親がいる老人ホームで働いている1/3は外国人労働者なんだよな。
今はまだ、彼ら彼女らが一生懸命日本語を学んで、日本で資格を取って働いてくれてるけど、そのうち日本人の中で本当に介護する人が足りなくなって、人材いなくなったら、どうなる?
**「日本語話せなくてもいいから介護の仕事に来てください」**って状況になるでしょう?
そしたら日本人も、介護される側が英語できなければいけない時代がきますよ!!
これ、案外笑い話では済まないと思うんですよ。
原田:確かに!その視点は間違いじゃないかも!!
小泉:だからね、僕は健康的な介護を受けるために英語も頑張りますよ!笑
原田:もう、今日だけで小泉さんの名言集が出来上がりそうです。今日はインタビューありがとうございました!