バリフラットができるまで【番外編】部長を剥奪された営業マンの物語② ~SMAP解散~

こんにちは!吉岡です。
2020年4月のブログ『バリフラットができるまで【番外編】部長を剥奪された営業マンの物語① ~ヨーロッパへの挑戦~』を書いてから、2年以上の月日が過ぎてしまいました。
その間にたくさんのメンバーがジョインしましたが、一方で会社を辞めていく人もいました。
それぞれが新たな道を見つけて進んでいくことは素晴らしいことです。
とはいえ、一緒に戦ってきた仲間たちが去ってしまうのはやはり寂しいし、何かできることがなかったのかという想いがいつも頭をかすめます。
どんなbond(絆)が私達を強く繋げていくのか? 会社を更に強くしていくのか?
去る人を想う切なさと、自分はこの場所で前を向いてやっていこうという気持ち。
そんな葛藤も抱えながら、今回のブログを書いていきたいと思います。

“バリフラットにした瞬間”までの僕の想いと葛藤

バリフラットが生まれた瞬間のやり取りは、『バリフラットができるまで ⑤〜バリフラットにした瞬間の話~』で述べられている通りです。

小泉さんがインドへの長期出張から帰ってくるタイミングで、「あれ、元の部はもう若手が部長やってるし、どうしよう」となったのですが、ISAO的な考えでは、誰かのために不必要に新しい部署を作るということはしたくなかった。

とはいえ、ISAOの大功労者である小泉さんをどう処遇するかは、大きな課題でした。

全然いいアイデアが思い浮かばなかったのですが、もう一人の部長が突然僕に言ったんです。

「もう部長も止めませんか?」

えっ?かなりびっくりしました。だって、少なくなった中間管理職的仕事とはいえ、まだ部長には部門をまとめる役割をもってもらっており、マネージャーとして機能していたからです。

彼は、続けます。

「この会社は、ほとんどみんなが管理する仕事をせず、生産性のある仕事を求められている。それによってみんな成長しているし、その点では、逆に部長であることは足かせになっている。自分たちも他のメンバーと同じようにフラットな立場になった方が、会社にとっても、自分たちにとってもいいはずだ」

なるほど・・・

2015年まで僕は営業部の部長でした。
Forecastや案件進捗、メンバーのフォローや評価など、まさに中間管理職的な業務が中心でした。
このころには、メンバー同士の色々なコミュニケーションや活動が社内SNS“Goalous” の中で毎日頻繁に投稿されるようになっていました。
たとえば、分からないことがあればGoalousへ投稿して質問する人がいます。それに回答する人もいます。
1つの投稿から連鎖反応的に話題が膨らみ、新しいアイデアが生まれることもあります。
悩みごとを包み隠さず発信する人もおり、もちろんそれをサポートする人も現れます。
経営方針、業績などトップダウンの情報だけではなく、このようにボトムアップの情報まで、ありとあらゆることがGoalousを通じて共有される文化が確立され始めていました。

情報がオープンになりお互いのコラボレーションが自発的に進むのを目の当たりにするにつれ、自分の役割と存在価値に疑問を持つようになりました。
そしてこのクエスチョンは日を増すにつれて段々大きくなっていきました。

そんな葛藤を抱えている時に先のような会話があり、僕はすぐ反応してしまったのです。

「もう部長も止めませんか?」

僕の想いはこうでした。

「俺も一人のメンバーとして部署を超えて皆と何かを変えたい!ドライブしたい!」

バリフラットにとって大事な相棒“オープン”

Colorkrewにバリフラットが誕生する前に大事にしていたことはオープンでした。
振り返ると、これがまさに自分を変えたSpiritsだったと感じています。
会社の情報だけではなく、自分の仕事・考えを自ら極力すべてオープンにすること。
想像できます?
僕はそんなに遠慮するタイプではありませんが、自分の想いを詳しく相手に伝えることはありませんでした。
面倒臭かったし、腹立つこともある。言っても変わらないだろ!とも思っていました。(今にして思えばそんなふうに考えている自分が悲しいですね。)
こんな僕にオープンって奴はガンガン攻め込んでくるのです!驚

今では“オープン & バリフラット”という最強コンビがColorkrewの究極の魂だと思います。
バリフラットの主なポイントは4つのゼロです。
部署、役職、階層、そして情報の格差。
オープンは“情報格差のゼロ”としてバリフラットをしっかり支えています。

バリフラットの図

“バリフラット”を体感して僕が得た今の結論

バリフラットを続けて7年たった今、組織の型としてヒエラルキーの対がバリフラットだなんて単純に思いません。
確かにバリフラットだから各メンバーが挑戦できる機会は圧倒的に生まれます!
それを掴み取れるかどうかは自分次第という厳しい側面もありますが、誰も邪魔しません。
でもヒエラルキー型組織だから会社を変えられないとも考えてはいません。
ヒエラルキー型組織で育ってきた僕にとっては、自分にとっての抵抗勢力がある意味自分を成長させてくれたと思ってますし、それを乗り越えて達成した時の成功体験は何物にも代えがたい喜びとやりがいを感じました。
ではバリフラットとは何なのでしょうか?

僕の中でバリフラットとは、下記のことを否応なく感じさせる場だと考えています。

  • 本当に自分自身の課題・成長と向き合えるのか?
  • 本当に会社の仲間を信じ、コミュニケーションをしていけるのか?
  • 一緒にビジョンを目指したい同志なのか?

ここに至った背景についてはまた別のブログで書きたいと思います。

“SMAP”誕生と解散

バリフラットを開始した2015年10月からColorlrewはプロジェクト制となり、部署/役職はなくなりました。
そして営業チームのみんなと一緒に、自分たちのプロジェクト名を考えることになりました。

「Sales & Marketing Projectがいいね!」

「略してSMPにする?」

「いや、Mの後のaも大文字に残してSMAPにしよう!」

このような流れで営業プロジェクトの名前はSMAPに決まりました。
プロジェクトを強くする為の役割としてプロジェクトリーダーは存在しましたので、僕はSMAPリーダーの吉岡となりました。

さて、リーダーとなったものの、自分の価値をどう発揮しチームに貢献できるのか。
僕は悩み続けました。
その結果、本業の営業以外にも挑戦の機会が出現するたびに即手を挙げて、手当たり次第に飛び込みました。

✓2016年5月:シンガポール出張へ

当時親会社のクラウド事業立ち上げ支援に挑戦!
余談:海外で仕事をする楽しみを覚え、また海外で仕事したい!と思うようになりました。

シンガポールのマーライオン

✓2016年7月:ロジカルシンキング研修講師へ

論理的思考力を社内随一持ち合わせていないパッション99%のこの僕が社外の研修を内製化すべく挑戦!
余談:過去3回ロジカルシンキングの外部研修を受講させてもらった背景もあります。
ロジカルシンキング研修の講師を務める

✓2016年11月:新人事制度導入のプロジェクトリーダーへ

バリフラットを補完すべく新しい人事制度の導入に向けて挑戦!
余談:その昔に圭志に「俺を人事にさせてくれ!」と言ったことがありましたが、「まことにだけは人事を任せられない・・・」と断られた事もありました。笑
ダウンを着込んでアイス片手に新人事制度についてみんなでミーティング

こういった挑戦を通じて、楽しく仕事に取り組む事ができていました。
しかし、頭の片隅では常に本業のSMAPはどうなんだ?という葛藤が続いていたのです。
リーダーとして自分の存在価値を発揮しているのか?
こんな気持ちのままでよいのか?

そしてついに、営業プロジェクトを解散することに決めました。SMAP解散です。
2016年12月、忘年会では解散コンサートを開催させてもらいました。笑

営業プロジェクト解散に伴い、営業リーダーを降りた僕は、2017年から心機一転。
いち営業、人事そして研修に没頭していく筈だったのですが……
その年の夏、あの大事件が勃発することになるのです。

第3回目は僕に衝撃を与えた『裏人事委員会』と題してお送りします!

See you next!


バリフラットができるまで【番外編】部長を剥奪された営業マンの物語① ~ヨーロッパへの挑戦~

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