「バリフラットができるまで」は、まだまだ続く予定ですが、ここで徐々にフラット化していたISAOが、最終的にバリフラットにした瞬間の話を書きたいと思います。
想定していなかったバリフラット
前回のブログ「④〜オープンが先か、フラットが先か」で、トップ・部長・みんなという三階層になるまでの経緯を説明しましたが、その頃の僕は正直なところ**「このくらいがフラット化の行き着くところかな」**と思っていました。
ところが、僕が思ってもいない形で、バリフラットへISAOは進むことになります。
きっかけは、小泉部長の長期海外出張
テレビや取材を受けるといつも注目の的の小泉さん。
56歳で初めて営業となり、2年でエースになった人です。
詳しくは過去ブログでどうぞ。
小泉さんがインドへの長期出張から帰ってくるタイミングで、**「あれ、元の部はもう若手が部長やってるし、どうしよう」**となったのですが、ISAO的な考えでは、誰かのために不必要に新しい部署を作るということはしたくなかった。
とはいえ、ISAOの大功労者である小泉さんをどう処遇するかは、大きな課題でした。
全然いいアイデアが思い浮かばなかったのですが、もう一人の部長が突然僕に言ったんです。
「もう部長も止めませんか?」
えっ?かなりびっくりしました。だって、少なくなった中間管理職的仕事とはいえ、まだ部長には部門をまとめる役割をもってもらっており、マネージャーとして機能していたからです。
彼は、続けます。
「この会社は、ほとんどみんなが管理する仕事をせず、生産性のある仕事を求められている。それによってみんな成長しているし、その点では、逆に部長であることは足かせになっている。自分たちも他のメンバーと同じようにフラットな立場になった方が、会社にとっても、自分たちにとってもいいはずだ」
なるほど・・・
コンフォートゾーンから飛び出した部長たち
部長という仕事は、みんなのサポート役であり、直接現場にでて生産性のある仕事をする機会は少ない。
でも、組織さえうまく回っていれば、非常に安定していて、給料だってみんなより高い。
そんな彼らが**「そんなの捨てて、自分の身一つで勝負する」**と言い出したのです。
この話を始めたのが、小泉さんが帰ってくる3週間前。
2週間前には、当時の部長たちを集めて合宿をしました。
部長なしに、どうやってビジネスや組織を回していくのか。
そのエコシステムをとにかく徹底的に話し合いました。
一日中話して、夜は飲みに繰り出します。
「自分はxxxをやろうと思う。あなたはどうする?」みたいな話を延々としたことを覚えています。
彼らは担当としての仕事を持っておりませんので、すべてゼロからのスタートになりました。
言い出しっぺの営業部長は、営業として売上ゼロから再スタートです。
一番大きな部門を担当していた部長は**「新たなビジネスを一人で始める」**ことになりました。
すごくないですか?
そのままだったら安定しているのに、わざわざイバラの道を自分たちで選んでしまいました。
挑戦して、成長し、証明した部長たち
小泉さんや他の部長たちが、一番率先してヒエラルキーをぶち壊し、ゼロからの再スタートをし、その後全員が成功したことで、ISAOでは若くても、多少歳をとっていても「経験がないからできない」という言い訳は通用しなくなりました。
**「いくつになっても挑戦できる」「成長に年齢は関係ない」**というこの実績は、バリフラットの副産物として最も大きな資産になりました。
ISAOでは、歳や経験がないことは、挑戦できないことの言い訳にならないのです。
このようにバリフラットの仕上げは、僕にとって思ってもみなかった展開でした。
ISAOや僕の背中をドンっと押してくれた、サイコーにファンキーな当時の部長たち、ありがとう!!
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