僕がドイツに駐在していたときに一番困っていたことは、実は英語ではありませんでした。
僕が一番困っていたこと。それは、”社交”でした。
日本のメーカーの製品を販売をする役割だった僕らの会社は、東はロシアから西はポルトガルまで、ヨーロッパ中に代理店を持っていました。
いまやリアルに集まるのという形式が遠い昔のように感じられますが、当時は年に一回、全ての代理店を集めて泊まりがけで代理店会議なるものを開催していました。
昼の会議は英語で苦しむだけなので、まだマシでした。
大変なのは、夜会食をしながら、初めて会う人たちと話をすること。
立食で、ちょっと挨拶して軽く会話をして、また違う人たちのところに移動して話す。
そんな立ち振る舞いがどうしても苦手で、毎年その会議の1ヶ月くらい前から憂鬱な気分。
中学の時のマラソン大会の前をいつも思い出していました。
僕はよく喋る方なので、これを言うといつも人に「そんなことありえない!」と信じてもらえないのですが、実はめちゃくちゃ人見知りなのです。
だから初めての人はずっと苦手です。
ついでに白状すると、社会人になって営業をやり始めた最初の2年くらいは、平日に新しい人に会うのに疲れすぎて、土日ずっと寝てるような生活をしていました。
チャンスは自分では作れない
前フリが長くなりました。
そんな僕でも人といいコミュニケーションをとること(=社交)は、とても重要だと経験的に感じています。
なぜならば、チャンスは自分では作れないからです。
チャンスをつかむ準備は自分でできますが、チャンスそのものは、必ず周りの人との関わりの中で作られるからです。
自分に十分な実力があっても、周りの人が「彼(彼女)に任せてみよう」と思ってくれなければ実力を証明できるチャンスはやってきません。
「会社に入らず起業すれば関係ないのでは」と思うかもしれませんが、起業したって、自分一人ではビジネスはできません。
社内政治をやる必要がないだけで、周りの人とのコミュニケーションはどうしても必要になります。
社交力やコミュニケーションだけではダメだという論調もよく聞くことがありますが、実力を高めるだけでも不十分。
どちらも必要なものなのです。
自分を振り返ると、20代のころだいぶ生意気だったにも関わらず、周りの先輩や上司が僕を許容し、いろいろなチャンスを与えてくれたことが、後々のキャリアにつながってきていると実感します。
そのチャンスは間違いなく、自分自身で切り拓いたものではなく、与えられたものでした。
女は愛嬌、男はxxx
昭和的なことわざに、「女は愛嬌、男は度胸」というものがあります。
いうまでもなく、女性には愛嬌、男性には度胸が必要だというような意味です。
令和の現在では、こういったジェンダーに関するステレオタイプは禁句に近いですが、僕は「女も男も愛嬌」だと思っています。
愛嬌というのは、社交につながるものです。
うまくなくてもいいのです。相手と友好な関係を結びたいという気持ちを表現することが愛嬌で、それによって関係性は劇的に良くなるのです。
だからと言って、媚びへつらうのはダメです。逆に相手から尊敬されない存在になります。
自分をきちんと持ちながら、相手に近づいていくことを目指します。
正しい愛嬌とは結構難しいものなのです。
好きには好きが返ってくる 〜返報性の定理
人との関係性は、常に「好きには好き」「嫌いには嫌い」が返ってくるという返報性の定理が働いています。
いわゆる上っ面の社交ではなく、相手のことを好きになって、愛嬌を示すことで、相手からの好きも返ってくる。
ビジネスも所詮はヒトがやっていること。
どちらかと言えば好きな人と一緒に仕事をしたいと考えるのが人情であれば、まずいい関係性をつくることは、全てのビジネスパーソンにとって重要なことではないでしょうか。
まとめます。
チャンスをつかむ社交力。
でもそれは立板に水のようなしゃべりのテクニックのことではなく、相手を好きになり、愛嬌を発揮することである、という話でした。