「給料を上げても、ロイヤルティが高まるわけではない」という記事を見かけることがあります。
僕は、経営をうまくやるための一つの手段として給料を使うことには反対の立場です。
「なぜ?」を書きたいと思います。
そもそもモチベーションは給料で上がるのか
もちろん、上がらないよりは上がった方がみんな嬉しい。
だからモチベーションは下がりはしないでしょう。
ただ、それは一過性のものであり、上がった給料に慣れればそれが当たり前になり、モチベーションとは関係のないものになります。
こういった文脈で「給料はモチベーションを上げないから、違う方法でやった方がいい」と言っている人がいるということですね。
では、給料はできるだけ上げない方がいいのか。
給料は、会計的には費用で、利益を減らすものですので、短期的経営効率から言えば給料上げる必要はないということになります。
本当にそうでしょうか。
経営のフェアネス
経営はフェアでなければいけません。
「できるだけ能力の高い人を、できるだけ安い給料で使いたい」というのはフェアではありません。
フェアでなければ信頼を失います。中長期でそこにいるメンバーたちは会社を離れていくでしょう。
(短期に影響を及ぼさない理由は、日本の雇用流動性の低さからくるものです。)
ですから、給料においてもフェアを追求することは重要です。
それではどうすればいいのか。
それは「人材の価値が上がったときに、給料をしっかり連動させて上げる」ということです。
Colorkrew(カラクル)では、多くの会社であるような相対評価ではなく、絶対評価を目指しています。
また、給料の「原資」という考え方をなるべくせず、やはりそれぞれの人の価値に対して給料を決めるという考え方です。
もちろん資金が無尽蔵にあるわけではありませんので、原資を全く無視する訳にはいきませんが、それについては、情報のオープン化で会社としての資金の限界もみんなで理解しながらやっていくことで、給料全体の支出を納得性のあるものに近づけていく努力をしています。
人材の価値が上がるに比例して、事業による利益を向上させていくというバランスをどうとるかというのは、経営のアートと言える部分でしょう。
給料の決めかた
会社の中での人材の価値は、周りからの仕事の評価、市場での価値、経営観点での価値(会社への貢献)の掛け合わせで決まります。
人事のシステムは、それを担保するために研ぎ澄ましていく必要があります。
つまり、給料が上がるということは、自分がその組織の中で成長し、それを認められるという状態のこととなります。
「長い間いるから」という理由だけでは給料が上がらないというのは、この考え方であれば当たり前の論理なのです。
価値が上がって給料が上がれば、個人は生き抜く力を手にする
価値が上がるのと連動して給料が上がるということは、金銭的に裕福になるだけでなく、個人にとってマーケットで生き残る力を得ているということになります。
生き残る力を得ることは、社会で生きていくためにとても重要なことです。
給料はその「生き残る力」と連動するものであることが望ましいと僕は考えています。
すなわち、給料を上げる=実力を上げるという状態を作り出し、その成長環境を提供することが経営の仕事です。
成長していない状態で価値が上がらないのに、給料だけが上がっていくとどうなるのか。
まず、実力を上げていくという努力をする気持ちが薄れていきます。
ですからどんどん価値と給料が乖離してしまう。
また、いまの給料に見合っていない場合、その条件以上で転職することは難しいですので、「どんなに居心地が悪くても、いまの会社にい続ける」という、会社にとっても、本人にとってもあまり幸せではない状態が生み出されるのです。
給料を上げていくことは経営の使命
モチベーションを上げるために給料を上げるのではなく、一人一人の競争力を高め、それに連動して給料を上げていくことが、経営として社員に最も報いるための手段であり、ひいては会社全体の競争力向上にもつながっていく。
このように考えれば、給料を上げていくことは、経営の使命そのものだと言えるのではないでしょうか。