うまくいかないのは、全てリーダーの責任

チームはみんながんばっているのに、うまくいかないことがあります。

会社であれば、事業だったり、全体の業績。 自治体や国であれば、その地域の発展。

それらがうまくいっていないとき。 それは全てリーダーの責任だと、僕は考えています。

みんなが一生懸命やっているのにうまくいかない例

首都である東京の、ここ一年のコロナ行政は、この良い例(悪い例?)です。

まず、みんなが一生懸命やっているかという観点。 医療関係者や保健所、政策を作っている官僚、そして東京都民も、コロナに関してはかなり頑張っているのではないでしょうか。

少なくとも、明確に足を引っ張っている人はいないように見えます。

しかし現状は、保健所や医療現場は疲弊し医療崩壊の危機、経済は停滞、そしてコロナ対策という名のバラマキで、将来に負債を作りまくっている。 うまくいっているとは言い難い状況です。

コロナ行政で最も重要なのは、医療崩壊を起こさないこと。その上で、できるだけ経済を回す。 というのが、現在の多くの人の共通認識です。 (ゼロコロナを主張している人もいますが、非現実的なので、マイナーな意見に止まっています。)

医療崩壊を起こさないために最重要なのは、重症患者を受け入れることのできるベット数と、その使用率。 事業で言えば、最重要KPIです。

東京都は、昨年からずっと重症患者用のベット数は500だと発表してきました。 1月に感染数の増加に伴い、1月中旬にはなんと使用率100%を超えるという不思議なことが起こりました。

重傷者用ベット使用率100%以上は、その後1ヶ月程度続きます。

ところが、2月後半になって、まるでマジックのように突然重症者ベット数が倍増します。 それに伴い使用率も大幅に下がり、3月3日には30%になっています。

ここら辺の推移は、NHKの新型ウイルス特設サイトを参照しています。 細かくデータの推移が見られて面白いので、興味のある方はどうぞ。 https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/hospital/

行政側には「国と、都の基準がいままで違った」とか「国の基準に合わせることを病院側にさせるのは負担が大きかった」みたいな説明をしていますが、自分たちが認定している重症患者数が、ベット数を上回るというのはどう考えても論理破綻していますので、それを1ヶ月も放置していたのは、情報操作が念頭にあったと疑われても仕方がない。

重症者ベットの使用率は、緊急事態宣言を2月7日以降も継続するかどうかの最重要指標でしたので、この数字のミスリードは致命的です。

ちなみに、この「突然の倍増」に目を奪われがちですが、そもそも1,400万人が住む東京で、コロナが始まってから1年以上経過、かつこの事態は十分に予見できていたにも関わらず、重症対応病床が1,000床しかないことの方がさらに大きな問題だと僕は感じています。

コロナで一躍有名になった、ニューヨークのクオモ知事は、約一年前に、3,000床だったICUのベット数を1ヶ月半で10倍にしています。 ニューヨークは東京の1.5倍に満たない2,000万人弱ですので、実行のダイナミックさが桁違いであることは間違いありません。

以下リーダーの責任という観点で考えてみます。

リーダーの責任① 〜目標は何か

今回、東京都の対応の中で第一の問題点は、リーダーが目標をはっきりと示していないことです。

世界的なコンセンサスは、上述した通り「医療崩壊を防ぎつつ、経済をなるべく回す」です。

これは東京だけではないですが、日本の行政はこの目標をはっきりさせていません。 だからメンバーである我々も、リーダーが何を考えているのかわからない。

「コロナに感染したら死ぬ可能性があるから、感染拡大防止をとにかくなんでもやるんだ」という一見正論があります。 ゼロコロナの主張です。

感染防止だけを考えれば、戒厳令を敷き、本当に一歩も外にでないようにすればいい。 会社は出社禁止、満員電車も乗らない方がいいでしょう。

家族以外の人に会わなければ感染はしませんから、ゼロコロナを究極に追求すればこういった政策になります。

ただ、それだと経済は止まります。 経済が止まれば、それによって命を奪われる人(自殺を含め)がコロナ死以上にでてきます。

また、日本以外の国がなんとか経済を回そうとしている中で、日本だけがストップさせれば、ここ30年の停滞をさらに加速させ、もうすでに先進国から離脱し始めている日本は、さらにもう一段下の経済レベルに落ち込んでいくことは自明の理です。

究極のゼロコロナ政策は、「交通事故に遭うかも知れないから、子どもを家の外には絶対に出さない」とか「風邪にかかるかもしれないから、ずっと無菌室で生活させる」みたいな極端な話と似たようなものです。

リーダーの仕事は、全ての情報を総合的に考慮し「何がベストか」を決め、実行することです。 それをメンバー(東京の場合は都民)に伝えつづけ、支持をえなければ継続していくことはできない。

こういった難しい問題に関しては、どんな決定をしても、必ず反対意見がでます。 総理大臣も、東京都知事も、本当に難しい立場に立たされていることは間違いありません。

はっきり言って気の毒なくらい、難しい局面です。

でも、どんなに嫌われようが、苦しかろうが、リーダーはチーム全体の現在と未来におけるベストを選択し、実行し続けなければならない。

コロナ行政であれば、定性的にどんな状態を目指すのか、そして定量的にはKPIを明示することがまず最初にやらなければならないことです。 そして、進捗はごまかさず伝えていかなくてはならない。

KPIの定義そのものが長期間ごまかされていたなどということは、論外であると明白でしょう。

リーダーの責任② 〜やりきること

目標が決まればあとはやりきることです。

判断が難しければ難しいほど、障害が発生します。 それらを現実的にどうやって一つ一つクリアして、実行していくかがリーダーの手腕です。

そこには、「みんなが言うことを聞いてくれない」という言い訳は通用しません。

目標とそれに向かうための方法論を、リーダーは”言葉”で、メンバーたちに伝え、支持を得なければなりません。 もちろん、全てのメンバーが賛成することはほぼありませんので、ルールも必要になるでしょう。

リーダーに与えられた権限は、こういったルールを作っていくときに使われるべきものです。

そして**「一生懸命やったけど、ダメだった」という言い訳をしてはいけないのがリーダー**です。

リーダーは割りに合わない!?

リーダーは、そのチームの中で、最も大きな権限を持っています。 立場的にも重要ですから、多くの人は、リーダーを目指したいと思っているのではないでしょうか。

ですが、上述したように、実はリーダーは決して楽なポジションではありません。 特に難しい局面では、苦しい決断をした上で、多くの人に嫌われながらそれを実行しなければならないこともあります。

かつ、役割がリーダーであるというのは、人間的に上のポジションであるということではありませんので、権威的に振る舞ってはならない。 間違ったら、素直に認め、修正する。 でなければ、そのチームの利益に反するからです。

あんまり割りに合わないんじゃないか、と思う人。 その通りです。

チームにとって常にベストを尽くそうとするリーダーは、はっきり言って割りに合わないことも多いはずです。

そんな割りに合わない仕事の見返りはなんなのでしょうか。

それは、よくなったそのチームの”未来”にいるメンバーから、感謝されること、この一点に尽きます。 ただそれは、それは自分がリーダーではなくなり、次のリーダーの時代になるかも知れません。

ですから、自分自身に完全な見返りを求める人は、リーダーにしてはいけない。そう僕は思っています。

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