プログラマーの古山です。 今回、弊社のスーパーAzureエンジニア原氏のおまけとして、レドモンドのマイクロソフト本社にお邪魔することができたので、その顛末をざっくりまとめてみます。 実のところ、私の初渡米でしたので、うっそーん、みたいな表現をあるかと思いますが、笑って許していただければ、と思います。いやほんと。
遠くへ行きたかったんだ。
僕が駆け出しのエンジニアだった頃、遥か海の向こうからやってきた肌の白い男はそう語った。
「どうして日本に来たんすか?」 「生まれたところから、とにかく遠くに行きたかったんだ。」 「どうして?」 「どうしてって、それが全てだ。君はそう思わないのか?」
なるほどと思った。 遠くへ行きたい。 遺伝子の運び手としての自分を顧みれば、確かにそれは本能に根ざした根源的な欲求なのかもしれない。 自らを構成する情報を遠くへ運び、あわよくば冗長化する。 そのために、遠くへ、ただ遠くへ行きたいと。 深く納得した僕は、自分をもっと遠くへ運びたいと、うっすらとそう思うようになった。
あれから長い時間が経ち、そして僕はまだ日本に居た。 あの遠くからやってきたエンジニアの故郷には、結局一度も足を踏み入れていない。 結局のところ、僕はそういう人間だった、ということなのだと思う。
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今日も今日とて慣れ親しんだキーボードを叩き、バーチャルな意味で遠くへと逃避していた僕を、その日現実がゆさぶった。弊社のイケメン代表が、僕にこう語ったのだ。
「シアトルにいかないか?」 「!?」
そこからのやりとりはよく覚えていない。 ぼんやりとした意識の中で、妻に土下座しまくり、田舎から母を呼び子供の世話と頼み、仕事はただかなぐり捨てた、そんな覚えがあるだけだ。
チケットとパスポートを握りしめ、エコノミーシートに座り。 気がつけば、僕は生まれたところから8,000キロも離れた場所に立っていた。 ついに僕は彼の故郷に足を踏み入れたのだ。 イミグレで一人隔離され、同行者をひたすら心配させたことも、この地にたどり着けた事実に比べれば小さなことだ。
それにしても、まさか、まさかこんなに時間がかかるとは。 気がつけば配偶者がおり、子供に4人も恵まれ、このままこの場所で老いていくのだろう、そんな風にあの頃の情熱を忘れたふりをしていたこともあった。でもどうにかこうにかこの場所にたどり着いたのだ。 たとえそれが3日だけだとしても、僕の人生的には初めて月に降り立ったアームストロング船長並の出来事だった。 人類史上初より自分史上初。人間は主観という檻から抜け出すことはできない。 神様ありがとう。
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僕のキャリアはゼネコン的SIerで始まった。 その大企業特有の技術は二の次で政治優先、体力優先な体質に嫌気がさし、OSSの自由な雰囲気に惹かれて、ただ電灯の明るさに蛾が惹かれるような機械的さで、ApacheやTomcat、JavaやLinuxの周りをフラフラしていた。 学ぶことは常に無限で尽きることはなかった。 政治はなく、ただ世界を前に進めようとする情熱だけがそこにあった。 正直言って、直接的な貢献はなにもできなかった。 ただ一度どこかの質問サイトで、Vmwareの上でVine Linuxを動作させようとしている人を助けたことが、その感謝の言葉が、僕にこの場所に居てもいいと、免罪符代わりになっていた気がする。 結局僕はスクリプトキディレベルの、そんなオタクだった。
そんな当時の僕にとっても、マイクロソフトは端的に言って敵だった。 だってこんなモノが出回るような会社なのだ。
ハロウィーン文書 http://cruel.org/freeware/halloween.html
今回の目的地は、その敵であるところの総本山、本社であるのだ。 オーマイガ。フォースよ、ともにあってくれ。
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縦横無尽にシャトルバスと車が走り抜ける。一企業の敷地としては規格外すぎるそこが、マイクロソフトの本社だった。これをキャンパスと呼ぶ感性は僕にはない。学内に信号機がある大学なんて知らない。どう見たって街だろう、これは。 デフォルト色が灰色らしい空の下、Uber印のプリウスに乗って僕らはマイクロソフトの本社に吸い込まれた。
全てに圧倒されながら怒涛のように滞在期間は過ぎていった。 振り返れば全ては夢のような体験だった。その全てが記憶の器から溢れていってしまう前に三つだけ書き残しておこうと思う。
HoloLens THE AR
Youtubeで散々動画を眺めながらも、よくできたイメージビデオなんだろうと3歩ほど下がって想像していたそれを、これでもかというほど体験できた。これは素晴らしい。本当に圧倒的に素晴らしい体験だった。 マウスカーソルをディスプレイ外に移動させるなんて体験を今までしたことがあるだろうか。 僕はない。想像したことすらなかった。それがいとも簡単にできてしまうのだ。そう、HoloLensならね。
僕はスマホのディスプレイサイズというものに不満がある。正確に言えば、それが固定された大きさだということに対する不満だ。これは常に大きすぎたり小さすぎたりするのだ。 持ち歩く時には小さくなってほしいし、映画を見る時には視野いっぱいに広がってほしい。 こんな不満を抱えている人はたくさんいるはずだ。だからタブレットなどという中途半端な市場ができる。7インチ派と8インチ派の間で不毛な論争が起きる。 手で持たないと適切な位置に配置できないというのも悩みのタネだ。 これは単に情報を映す窓なのだから、その時々の状況にあわせ、適切な場所に適切な大きさで表示されていてほしいのだ。
HoloLensはこのなんくせとも言える問題をスマートに解決する。 情報は必要な場所に必要な大きさで表示される。むしろそれが単なる情報であることを忘れるほどに現実をさりげなく上書きする。 だからこそ、この技術はAugmented Reality - 拡張現実と呼ばれているのだ。
HoloLensが扱うものは光と音だ。視覚、聴覚に訴えかける情報のみで、手触りも匂いもない。だが、ただそれだけのものがどれだけこの世に存在するというのか。 テレビ画面に触る人はいない。せいぜいこの世界をチュートリアル中の幼児くらいなものだ。家の屋根、ビルの外壁、有名な絵画、どでかい広告。そしてオフィスを歩き回る気のいい同僚たち。 まず触れることはないだろう。それどころか触れたら犯罪になることもある。想像するよりもはるかに多くのものに、触覚も嗅覚、そして味覚も必要ない。
要するに、これらは全てARの守備範囲ということだ。
オフィスは同僚も含めて完全に仮想化できる。お互いの距離感さえ正確に再現できれば、同じ場所で働いているのとなんら変わらない。 情報を表示するデバイスもだ。スマホやPCを持ち歩く必要はなくなる。 ARデバイスひとつあれば、テレビも不要だろう。ポータブルから大画面TVまでサイズは思いのままだ。 さらに家の内装や外装も不要になる。模様替えも一瞬だ。日本にはそんな未来を予言したアニメもある。 建築関連のコストは劇的に下がるだろう。なんせ装飾にはARデバイスがひとつあればいいのだ。メンテナンス性最優先の無骨な建物が増えるかもしれない。なにより発展途上の国にこそ必要なものかもしれない。
ARには未来がある。 その未来をとてもわかりやすい形で手元に引き寄せてくれる、現時点で唯一無二のデバイス、それがHoloLensだ。 現時点ではまだ視野角が狭いとか、少々重いしかさばるとか粗を探せば出てくるものはある。 しかしこの体験はHoloLensにしか提供できない唯一無二のものだ。 この先にGoogle Glassが諦めた未来があると僕は信じる。 問題はきっと時間が解決してくれる。 マイクロソフトおそるべし。
Microsoft Loves Linux
Nadella氏がマイクロソフトを率いるようになってから、Windowsから距離を置いていた僕のフィードにさえ、MSは変わった、クールになった、という情報がぽつぽつと流れてくるようになった。
いわく、Windows10はbashをサポートするらしい。 いわく、Visual Studio Codeのコードアシストはかなり速いらしい。 いわく、Xamarinは超使いやすいらしい。
とはいえ、IntelliJとVim,たまにAndroidStudioとXcodeを往復するような生活をしている僕には、MacOSがあればそれで十分だった。
OSSに力を入れるといってもそれはつまりWindowsの引き立て役としてだよね?という色眼鏡があった。 ところが、だ。 AzureのCLIは完全にWindowsから独立し、Docker用のイメージすら提供されている。 ちなみにベースはalpineだ。徹底していると言わざるをえない。 これならホストOSを汚さないし、インストールも楽チンだ。クールだ、と思った。 業務でクラウドを使おうと思えば、GUIよりもCUIに断然フォーカスが移る。 クラウド上の操作をスクリプトに落とすためにはCLIに頼らざるをえないからだ。
なんだかんだいってもWindowsの存在は圧倒的だ。Macがクールと嘯いていても、デスクトップOSのシェアでは10%程度。90%超のシェアは今でもがっちりWindowsが握っているのだ。 つまりCLIをWindows専用にしたところで、マイクロソフトとしては痛くもかゆくもないはずだ。 むしろ今までの戦略に則ればそうすべきですらある。
だからこそ、ここにマイクロソフトの気概を感じた。 今までとは違うんだぞ、という薄青色の空気だ。 あとはなにか一つ惹きつけられるキラーコンテンツがあれば、Windowsの世界に戻ろうというエンジニアは多いかもしれない。 正直いって Windows Subsystem for Linuxも試したくてしょうがない。
ワクワクするマイクロソフト。やるな。
The Fellowship of the MS
タイトルは指輪物語のパクリ。 ホビットのフロドが頼りになる仲間の助けをえて指輪を破壊するまでの冒険を描いた、イマサラ僕が説明するまでもない名作中の名作だ。バイブルといってもいい。 今回のマイクロソフト本社への旅は、日本マイクロソフトの方々の強力なエスコートと、普段は別々の会社組織に属しシノギを削るいわばライバル同士が仲間となり協力する、そんな素晴らしい体験をさせていただいた。 マイクロソフトに食ってかかるがごとく日本語や英語でアツい意見を述べる、今回の旅の仲間の姿に、ビリビリと刺激を受けた、受けなければ嘘だ。この業界にはアツくてスゴイ人がたくさん居るんだ。 そんなことを心の底から感じたのが、今回の旅の一番の収穫かもしれない。
僕みたいなAzureのAも知らない余所者が参加していいのか、という思いがつきまとっていたが、そんなコダワリもいつの間にか溶け去っていた。 だってPC開いてキーボード叩けば、もう通訳無しでも通じちゃうんだもん。 むしろ通訳の方がそのニッチすぎる専門用語に困っている姿を見てあらためて思った。
英語だ日本語だ、という前にすでに共通言語を持っている人種なのだ僕らは。
エンジニア最高。 そしてそんなエンジニアが山ほど居るマイクロソフト最高。
というわけで、今回の旅を通して翼をさずかるほどの刺激を受けてきました。 redbull無しでも飛んでっちゃうよ、ほんと。
私自身はAWS,GCPあたりを主戦場とするエンジニアではあるのですが、この機会に徐々にAzureにもテリトリーを広げて行きたいと思いました。
今回、私に声をかけてくれた原氏、背中を押してくれた中村代表、未処理のチケット溜まりまくりなのに文句も言わず送り出してくれたbチームの皆さま、この件企画された日本マイクロソフトの皆さま、おしみなく情報をシェアしてくれたマイクロソフト本社の皆さま、そして今回の旅をご一緒させていただいた皆さま。本当にありがとうございました。 ぜひ来年も、というありがたい声もかけていただきましたが、そもそもAzureのエンジニアではない上に2歳児、しかも双子を抱える身の上でもあるため、こんなわがままを通せる機会はもうないかもしれませんが、もし許されるならまたぜひお会いしたいです。 その時を夢見つつ、今日もキーボードに向かいます。