会社に飼い殺されない生き方①
大学4年で就職が決まって、社会人になる前、僕は不安でした。
「会社に入ったら、信念を曲げて、嫌々従わなければいけなくなることがたくさんあるだろう。それが続いて、そのうち今の自分とは全く違う自分になってしまうのではないか。」
社会のことも、自分の入る会社のことも、何にもわかっていないのに、会社というものは従属することを求めてきて、それに従わなければ弾き出されてしまうんだろうと勝手に思っていました。
自分で事業を始めるなんてことは想像もできなかったので、弾き出されたら社会的に死んでしまうのであろうと恐れていました。
会社に入る前の僕
自分で言いますが、僕は割とややこしい性格のようです。 学生時代から、散々周りに言われてきたので自覚はしています。
自分の考え方やポリシーに関して、こだわりが人よりも強いのかもしれません。 いまでも、人から指示や命令されることが最も嫌いです。
人から言われたことをやって成功するより、自分で決めたことをやって失敗することを選ぶタイプです。
そんな僕が、社会にでることをここまで恐れていたのです。
いま振り返ると、知らないということは恐れにつながるんだなと思います。
会社に入っての現実(アフターファイブ編)
ときは平成初期。 22歳の僕は、大学を卒業して、会社に入ります。
僕の不安は、半分当たっていて、半分間違っていました。
当たっていた部分は、”先輩後輩の関係による理不尽”です。
30年前、しかも商社。 理不尽がないことは想像できないでしょう。笑
最初に業務外の話。 酒の席の理不尽があるだろうと覚悟はしていましたが、あきらかに度を超えていることもありました。
酒を飲みすぎた後輩を病院に連れていったこともあります。
ただ、その会社の名誉のために言っておくと、おかしな人はごくわずかではありました。 ほとんどの先輩は、とてもいい先輩でした。 これは本当です。
問題は、そういったおかしなアルハラの先輩を周りが叱ってくれるような雰囲気でもなかったことですね。
後々になると、理不尽な飲み会も、面白おかしな楽しい記憶になっちゃっているのはどうなのかとも思いますが、当時は辛かったです。
ちなみに20代は、先輩と飲みに行ってお金を払ったことはほぼありませんでした。
そういえば、先日その会社の人と飲みにいきましたが、その時も奢ってもらってますね。 先輩が先輩だった古き良き昭和(!?)の雰囲気は、僕は嫌いではありません。
会社に入っての現実(仕事編)
そして、本題の仕事編です。
周りの同期の話を聞いたりすると「なんでこんな意味のない仕事させられてるんだろう」と思うことは多々ありました。 そういった人たちは、いわゆる本流の部門の人たちでした。
偉大な先人たちが作ったビジネスを、維持していく仕事。 先人たちは、血湧き肉躍る修羅場をくぐって作ったのでしょうが、それを維持していく仕事は、必ずしも個人がやりがいを感じられるような仕事でないことは多い。
僕はラッキーでした。
配属されたのは、会社にとって本流を外れた部門。 商社ですので、物を買って売るのですが、当時の僕らの部門は、サプライヤーも顧客も、全く政治的な関係のない会社だったので、会社から「ここはこうしろ」という命令がほぼない仕事でした。
自由と責任がある仕事でした。
たった一度の例外で、グループ会社の仕事を少ししたことがあります。
その時は僕とそのグループ会社の担当の人が話して決めたことでも、お互いの上司が気に入らないと、ことごとくひっくり返されてしまい、一からやり直しをさせられる。 正しいと思っていることに対して議論ができない。
なんのために一生懸命仕事しているのかよくわからなくなりました。
こういう仕事をやり続けると、そのうち自分の主張はできなくなって、会社に飼い殺された状態になってしまうんだろうなと漠然と思ったのもこの時です。
話を元に戻します。
僕の配属された部門は、まさに自分たちの腕一本で勝負するビジネスでした。
そういったビジネスは続いていく保証はありませんし、問題が起こった時、政治的に解決する方法もありません。 成立させ続ける難易度は高いですし、トラブルも日常茶飯事です。
ただ、社内の理不尽がほとんどないので、精神衛生は極めて良かった。 また、その会社に止まらないスキルを身につけることができたというのは幸運でした。
ここまできて、まだ本題に入っていないことに気づきました。 長くなったので、来週続編を書きます!
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