本日6月1日付けで株式会社ISAOは、株式会社Colorkrewに社名変更しました。
記念すべきColorkrewとしての初ブログということで、今回は社名変更の背景と、想いをお伝えします。
ISAOという社名について
1999年10月、独立系SIerで最大規模だったCSK社(現SCSK)と、SEGA社のジョイントベンチャーとして、株式会社ISAOは誕生しました。
*CSK社大川功社長は当時SEGAの大株主であったことから、ISAOは実質的にはCSKの子会社
創業の目的は、当時SEGA社が発売していた「ドリームキャスト」のインターネットサービスプロバイダーとしての役割と、ゲーム業界におけるオンラインサービスを行うことでした。
CSK社についてはこちら。ISAOもちょこっと載っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/CSK_(企業)
社名は公募でつけられました。
Interactive Service for Amusement Onlineの頭文字をとってISAO。
ゲーム業界とインターネット業界をまたにかけて事業をする会社という意味です。
もちろん、創業者の大川功さんにちなんでいることは言うまでもなく、むしろ意味合いとしては大川功さんが作った最後の会社という方が強かったのではないでしょうか。
ISAOという社名への愛
僕は、2010年にISAOへ合流しました。
ISAOは人の名前でもありますので、当初は「変な名前だな」と思ったことを覚えています。
それからしばらくして、ISAOという名前に馴染んでくると、段々好きになっていきました。
そして、自分たちはISAO以外何者でもないくらいの勢いで、この名前を愛してしまったのです。
ISAOあるあるで、ちょっと不思議なことがあります。
僕も以前そうでしたが、自分の会社のことを他社の人と話すときは大体「弊社は」とか「当社は」という言い方をします。
でも、僕たちは「ISAOは」と言ってしまう。
不思議ですが、ISAOという名前にはそういう魔力がありました。
そんな、僕たちが愛したISAOという社名。
今回、僕が社名変更を検討したいと言い出し、みんなで話し合ったときは、当然のように大激論になりました。
いままで、62ヶ月も単月経常赤字が続いたときも、奇跡的に倒産せず、またその渦中に親会社から別の親会社にISAOが売られたときも、守り抜いた僕たちのアイデンティティの象徴であるISAOという社名。
**「ここまで守り抜いたアイデンティティを捨てるのか」**と言われると僕もぐっとくるものがありました。
そして、激論をしながらも、僕はみんなのISAO愛を素敵だな〜と思って見てました。
ISAOの事業構造の変化
一般的にはそれほど有名ではないISAOも、ゲーム業界や、ゲーマーたちにはisao.netなどでよく知られています。
それもあって、いまでもISAO=GAMEというイメージが強くあります。
実際には、現在のISAOはゲーム関連を専門にしている事業は既にありません。
また、クライアントビジネスも10年前には80%以上ゲーム業界だったものが、いまでは10%以下になっています。
新規はもっと少なくなっています。
さらに、自社サービスであるMamoruやGoalousも、ゲームとは直接関係のないサービスです。
もはや、元々マーケットで知られているISAOとは、ここ数年で全く違う事業構造になっていることも、今回の社名変更を決断する大きな理由でした。
Colorkrewに込めた想い
詳しくは、ブランディングチームが記事をリリースしますので、そちらをご覧いただければと思いますが、ここでは簡単に書きたいと思います。
昨年10月に9年半親会社だった豊田通商グループから、我々はスピンアウトしました。
それから僕たちは「より理念に尖っていく」ことを念頭に変化し続けています。
B2Bで、顧客のサービスを支える縁の下の力持ち的存在から、自分たち自身がサービスを作り出す会社へ。
ゲーム業界中心に事業をする会社から、シゴトをたのしくする事業をする会社へ。
日本人中心・国内事業をする会社から、インターナショナルチームで世界へ事業展開する会社へ。
創業してくれた大川功さん。創世記からISAOを支えてくれたメンバーたち。
そして、ISAOを育ててくれたゲーム業界。
20年間の感謝を深く持ちながら、今日をもってISAOはColorkrewに生まれ変わります。
「世界のシゴトをたのしくするビジョナリーカンパニー」を目指して、従業員一同邁進していきますので、今後とも変わらぬご支援のほどよろしくお願いします!
Change ISAO to Colorkrew.
▼ぜひ動画もご覧ください