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Ayaka Harada

  • Colorkrew人事が「東海オンエア」メンバーをガチで面接してわかったこと

    こんにちは! ブランディングプロジェクトのだーはらです! 今回の東海オンエアさんとのコラボ企画に関する動画をご覧いただいている皆さま、そしてブログをご覧いただいている皆さま、本当にありがとうございます。 前回のColorkrewチャンネルで更新した、【東海オンエア】ガチファン社員が東海オンエアに会うという至福の一日では、この企画のきっかけを作った東海オンエアガチファン社員のあっちゃんが憧れの東海オンエアに会うまでの1日の様子をお届けしたのですが、16万再生という予想を遥かに超えてたくさんの方に見ていただき、私自身も驚きでした! コメントにも、今回の企画に対して感謝の言葉や嬉しかった、楽しかった、などなど嬉しいお言葉をいただき、改めて今回の企画を実現できて良かったなと感じます。 ▼ちなみに過去のブログや動画を見逃した方はこちらからご覧いただけます▼ 東海オンエアさんコラボ動画紹介記事はこちら しばゆーさん面接後インタビュー記事はこちら としみつさん面接後インタビュー記事はこちら てつやさん面接後のインタビュー記事はこちら りょうさん面接後のインタビュー記事はこちら ゆめまるさん面接後のインタビュー記事はこちら 虫眼鏡さんインタビュー記事はこちら 東海オンエアを面接してわかった13のコト 今回、東海オンエアさんとのコラボ企画に関する動画は最後のお届けとなります。 この企画で面接官を担当した「ドレッド人事」と「きよちゃん」が東海オンエアさんの面接で感じたホンネを全部語ります。 東海オンエアの知識ほぼ0でガチで面接をした2人にトップYouTuberの東海オンエアメンバーはどう映ったのでしょうか? 遠慮無しで思ったこと全部言っちゃってます!笑 動画の最後には、普段多くの方と実際に面接を行っているColorkrew人事二人の想いなど、結構真面目に良いこと語ってくれています。 今回の企画を通じて、私たちも多くのことを学ばせていただきました! 現在、就職活動をしている方の中には、面接が苦手で辛い・・・などネガティブな印象を持つ方もいるかもしれません。 今回の動画が、ありのままの自分とマッチする企業に出会うための貴重な経験として、少しでもポジティブになるきっかけになったら嬉しいです! 『好き』ってすごいな・・・ 最後に、改めて『好き』という気持ちのすごさを実感しました。 今回は、東海オンエアのことが大好きなあっちゃんの「好き」が原動力となり、多くの方にColorkrewのことを知っていただくきっかけにもなりました。 そして、動画やブログを通じて、「好き」が人から人へ伝わり、多くの「楽しみ・喜び・嬉しさ」が生まれていくことを実感させられました。 人生の中で、たくさんの「好き」を見つけるのは、なかなか難しいかもしれませんが、なにかに熱中して心動くものと出会えるように、 自分自身で一歩踏み出す、ちょっと行動してみることが大事だなって思います。 この日、あっちゃんが勇気を出して、東海オンエアさんのことを相談してくれたMTGの写真🎵 あっちゃんのこの小さな一歩が今回の企画に繋がりました! Colorkrewでは、一緒に働くメンバーを募集してますので、少しでもご興味ありましたら、ぜひ初めの一歩でまずは気軽にお話ししましょう!!
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  • A Performance of the Man Who Never Fails: The Story of a Big Project Completion

    Hello! I’m Da-hara from the branding project. I’m delivering you the latest interview article first time in a while! This month, one big project came to its completion. The project was rewarded in the Award presentation, where the company praises successful outcomes of the previous period. We had an interview with Mr.
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  • 秋のオンライン大読書会

    こんにちは! 久々の登場、ブランディングプロジェクトのだーはらです。 気づけば、11月も今日でラスト。(いや、ちょっと前から気づいてました。笑) 2020年も残り1ヶ月カウントダウン始まりましたねぇ~。 秋といえば、食欲の秋に、読書の秋。(いや、もう冬ですけども…) ということで、ちょっと前に社内で定期的に行われている読書会にお邪魔してきました! 読書会とは 2020年、新卒で内定を蹴って、中途入社したバックエンドエンジニア安原賢弥ことヤスケンが発起人となって 本のアウトプットとその議論が新たな学びの場になると考え、社内につくったサークル。 え、素晴らしすぎませんか。 本を読むことも素晴らしいですが、読んだ内容を周りにシェアして、いろんな人と議論するなんて! しかも、レギュラーメンバーは2019年、2020年の新卒入社の若手ばかり。 最近の若手、やりよりますね~。 そんな読書会ですが、既に9回目の開催ということでしたが、今回は初参加メンバーも! 終業後に集まった、総勢10名の大読書会開催の様子をレポートしたいと思います。 参加メンバー 今回参加者は、読書会レギュラー陣(2019年・2020年入社メンバー)にColorkrew歴の長めな先輩二方&Colorkrew代表までバラエティーに富んだ感じに! 19卒メンバー 田嶋くん デザイナーでGoalousのLPデザインを担当。 社内イベントではColorkrewのカメラマンになることも。 青木くん くらまね営業担当。 自転車でどこまでもいける体育会系。 安原くん 一度Colorkrewからの内定を断り、中途入社した猛者。 エンジニアとして活躍中。 20卒メンバー Vinci Mamoru Biz営業担当。 浜崎あゆみさんが大好きなイタリア人。 堤くん Colorkrew入社に伴い、九州から上京。 Alexaスキル開発中のエンジニア。 Luisa デザイナー。 ニコニコ笑顔がキュートなドイツ人。 パイセン 古山さん Colorkrew歴11年。 SF小説をこよなく愛するWeb エンジニア。 山名さん Colorkrew歴7年。 日経新聞をほぼ毎日読んでるエンジニア。 Colorkrew代表 中村さん 小学3年生で既に年間600冊は本を読んでいたツワモノ。 絶賛Kindle推し。
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  • 情シスがオフィスの顔を一瞬で変えた!?「受付アプリ開発」秘話

    こんにちは!ブランディングプロジェクトのだーはらです。 現在ほぼ在宅勤務の日々なのですが、久々オフィスへ出社したら、前々からお話聞きたいなーと思っていた人がたまたまいらっしゃいまして。 速攻インタビューのセッティング! ということで、今回はColorkrew(カラクル)のイケてる受付アプリを開発した情シス担当の小嶋さんに突撃インタビューしてみました! 社歴20年!情シス、小嶋さんのあれやこれや 原田:急なインタビューですが、今日はよろしくお願いします! 小嶋:いえいえ、こちらこそ! 原田:前々から聞きたかった**「受付アプリの開発」**についての話の前に、まずは、小嶋さんのパーソナルヒストリーを少し伺えられたらなぁと思っているのですが。 小嶋:パーソナルヒストリーですか。どこから話せば良いですかね。一応私は、カラクルの中では、**最古参の方になるかな?**私より前にいたのは西村さんくらいかな?と。 原田:おぉ、なんと!では、20年プレイヤーってわけですね! 小嶋:そうなりますね。 原田:当時から、情シスのご担当されていたんですか? 小嶋:そうですね。当時は情シスという部門はなかったんですが、機械をメンテナンスする人は事業部ごとに1,2人いて、だいたいエンジニアとかが兼任していました。 たまたまパソコン直すのとかが得意だったので、そういう担当として働いていました。 原田:なるほど。20年間、同じ会社で情シス関連のお仕事をされているってことですかね? 小嶋:そうですね。家族曰く、「お兄ちゃんは色んなところをプラプラするより、一所でやっている方が向いている性格だよ」とは言われたことありますね。 原田:一途なんですね! 小嶋:一途というか。**「変化を嫌うタイプ」**なのかも知れないです。 原田:えー!?でもISAO※時代なんて、会社を転職したレベルの変革が何度もあったんじゃないですか? ※2020年6月1日ISAOからColorkrew(カラクル)に社名変更 小嶋:そうですね。会社の変革は多かったけど、自分自身の大きな変化ってあんまりなかったかなと。だから今回、声をあげて**「俺やります!」**って言ったのは自分の中でもすごい変化というか… 原田:受付アプリの開発のことですね? 小嶋:はい。元々この受付アプリの開発を担当されていた方がいたんですが、志半ばにしてこの開発が中断になってしまったんですよね。 でも、前任の方がやられているところは興味があって見ていたし、だいたいどんな感じで作っているっていうのは聞かせてもらっていて。彼のやりたかった事に、自分の考えているアイデアを組み合わせて完成させたいと思ったんです。 原田:なるほど。それで、ご自身でチャレンジしようと思われたのですね。 小嶋:はい。なかなか自分の中にはない変化が起きた感じです。 原田:私的には、小嶋さんのバックグラウンドをほとんど知らなかったので、受付アプリ開発されていることを知った時は**「情シスの方って、こんな簡単にアプリまで作っちゃうんだぁ…」**と驚きでした。 小嶋:あはは。実を言うとね、プログラミングを始めたのは10代の頃からだから、もう40年近くコードは書いてるんですよ。笑 原田:40年!?元々ゲームが好きだったとかですか? 小嶋:ゲームが好きだったというか、単純にコードを書くことが好きでしたね。CPUの説明とか書いているページ見ていると、面白くて2、3時間平気で時間潰せちゃうくらいです。 原田:ハァ…またもや私の脳との違いをガンガン感じます……笑 一番、受付で呼び出される情シスだからこそ見えていたもの 原田:受付アプリの開発について詳しく聞きたいのですが。 小嶋:そもそも、受付の表をメンテナンスしていたのは自分だったんです。みんなももちろん思ってたと思いますが、やっぱIT企業の受付っぽくないし、カッコ悪いよなーとはずっと思ってて。 原田:**IT企業なのに!**確かにイケてはなかったですよね。笑 小嶋:あとは、たまたま別件で音声認識のプログラムをちょっといじっていて。これを**受付アプリにくっつけちゃえばいいんじゃないか?**と思ったんですよ。 原田:なるほど。じゃあ元々別で考えていたアイデアが今回の開発に役立ったということですね? 音声で受付呼び出せるのはいいアイデアですよね。 小嶋:ありがとう。 原田:Goalousのアクションでこの開発の経過はよく拝見していましたが、すごいスピードで完成したイメージでしたが。 [caption id="" align=“alignnone” width=“800”] 社内SNS「Goalous」でアプリ開発の経過をみんなに共有![/caption] 小嶋:それは、受付アプリを作る前に、そのプロトタイプを1ヶ月、2ヶ月前に試しに作っていたからかもですね。 原田:あ、そうだったんですか?社内の声が上がってくる前から事前に準備をされていたんですか? 小嶋:自分の中でちょっと試したいことがあって、個人的に作業していたんですよね。そのプロトタイプが今の受付アプリの原型になってますね。 開発中に想定外の要望でつまずく。なのにワクワクが止まらない 原田:今回の開発で苦労した点とかありますか?
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  • 「絶対失敗しない男」が魅せた。一大プロジェクト完結ストーリー

    こんにちは。ブランディングプロジェクトのだーはらです。 久々にインタビューブログをお届けします♪ 今月行われた、前期の成果を評価するAward発表にも受賞された、ある一大プロジェクトにピリオドが。 創業からずっと会社を支えてきた20年間のプロジェクトのヒストリーを振り返り、このプロジェクトを通して得たもの、そして、メンバーたちの苦悩や喜び、成長など、「絶対に失敗しない男」と呼ばれるNO.1 プロジェクトマネージャーの田上さんに語っていただきました。 一大プロジェクトを振り返る 原田:今年の2月に、基幹システムのクラウド移行プロジェクトが完結され、みなさんでお疲れ様会をされましたよね。 そして、今月オンラインで行われたASM(オールスタッフミーティング)にて、このプロジェクト全員が表彰され、田上さんはAward発表※でMVPを受賞されましたね。 改めておめでとうございます! 【Award****発表とは】 Colorkrew__では半年ごとに、素晴らしい活躍をした人を__Award__に選出して称えています。レベルに応じて、MVP+2__カ月、ゴールド+1__カ月、シルバー__0.5__カ月、ブロンズ_+0.2__カ月の追加賞与が支給されます。_ 田上:ありがとうございます。名誉あるMVPをいただけて光栄です。 これもチーム全員の努力だけでなく、適宜協力してくれた全ての人のサポートがあったからこそ、プロジェクトを完遂することができたと思っていますので、関わっていただいた全ての人にお礼を言いたいです。本当にありがとうございました。 原田:本当にお疲れ様でした。今日はまず、このプロジェクトについて改めて簡単に教えていただきたいです。システムのクラウド移行とは具体的になんでしょう? 田上:会員管理課金システムのクラウド移行って言えば分かりやすいですかね。 会社が創業された1999年のタイミングでサービスが作られて、2008年に一度リニューアルされました。 そのタイミングで様々な決済手段を導入しています。 正確な数字は言えませんが、数百万のユーザーが登録されている会員管理サービス、約10種以上の決済手段が利用可能な課金サービスを運営する基幹システムです。 日本初で導入した決済手段もいくつかあります。 原田:なるほど。創業時からのプロジェクトなんですよね?20年のプロジェクトってすごい歴史を感じます。 田上:このシステムは、何度かリニューアルを繰り返し、20年近く動いています。 今回、クラウド化をやろう!と検討が始まったのが2018年。当時は、あるエンジニアが一人でクラウド化検討をしていたんですよ。 そこから本格始動したのが2019年4月です。 原田:そこから本格的なクラウド化の始まりってことですね。このプロジェクト一番の山場はどこでしたか? 田上:山場といいますか、チャレンジだったことはありますかね。 オンプレミス環境の老朽化に伴い、サーバー類の交換をするかクラウド環境に移行するかの選択がありましたが、メリットデメリットを変更した結果、元々うちの会社はクラウドに強いというのもあり、クラウドに移行することに決定しました。 もちろんクラウドに移行するにあたり、AWS、Azure、GCP、ハイブリッド案といろいろと検討しました。 オンプレからクラウドへの移行でしたので、諸々ありましたが、幸いうちの会社はクラウドに強いので、そこは助かりました。 最終的には、AWSにて対応することに決まりました。ただ、kubernetes(クバネテス)の技術を導入したことはチャレンジでしたね。 原田:kubernetesとは? 田上:Dockerコンテナの管理システムです。 コンテナの展開やスケーリング、そういった管理を自動化するためのソフトウェアと思ってください。 原田:クラウドのAutoScalingみたいなものですか? 田上:近いですね。AutoScalingはサーバーを素早く簡単に増減できる仕組みですが、kubernetesはもうちょっと色んなことができるというか・・・例えばアプリケーション単位で環境構築が素早く簡単にできるんです。 原田:それのどこが素晴らしいのでしょう? 田上:システムは大きく分けると7つ異なるURLを持つサービスで構成されています。 アプリケーションごとに利用頻度はもちろん異なるわけですが、オンプレ時代は、アプリケーションごとにサーバーを用意する必要がありました。 AutoScalingだけで解決するとしても結局増減するのはサーバーですから、アプリケーションごとにサーバーを用意する必要性は変わりません。 しかし、kubernetesでは、サーバー群をクラスターという一つの大きなサーバーとして扱い、その上で動作するアプリケーションに自由にリソースを割り当てることができます。 つまりより柔軟にサーバーが提供するリソースを利用することができるわけです。 サーバーとアプリケーションが切り離されているので、いくつかサーバーが停止したとしてもサービスに影響ないという点もよいと思っています。 このプロジェクトを通じて得たもの 原田:このプロジェクトを通してメンバーそれぞれの成長などはありましたか? 田上:技術的なことであれば、うちの会社で一番大規模なシステムかつレガシィなシステムから最新の環境へのマイグレーションを行いましたので、メンバーみんながクラウドに精通したことですね。 マインド的には、うちは元々バリフラットで上下関係がない社風なのですが、今回のプロジェクトを推進していくうえで、メンバーそれぞれが自分ごととして捉えて、プロジェクトを成功するためにどうすれば、いいのかを考えて行動するようになり、チーム一丸となってプロジェクトを成功させるという気概が感じられました。 去年の流行語である**「ワンチーム」**ですかね。 そのおかげでプロジェクトを完遂することができたと思っていますし、**「自分ごととしてやりきる」**というマインドが持てたことが一番の成長だと思っています。 原田:一人ひとりが「自分ごととしてやりきる」ってとても素敵ですね。 田上:はい。**「これを失敗すると会社やばいぞ!」**と言われていたくらい、トッププライオリティなプロジェクトだったので、みんなそれぞれプレッシャーは大きかったと思います。 原田:このプロジェクトメンバーって、割とメンバーの年齢層も幅広かったように感じますが、その辺はどうでしたか?
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  • 初めまして、株式会社Colorkrew(カラクル)です。

    みなさん、こんばんは。 代表のけいじさんに、Colorkrewの初ブログを書いてもらったのですが、「詳しくはブランディングプロジェクトチーム」から…と内容に書かれていて、**「お!これはまずい流れが…。」**と焦りまくりの、だーはらです。 そんなこんなでいま、私は筆舌に尽くしがたい感情の中、このブログを書いています。 Colorkrew(カラクル)になりました。 2020年6月1日、本日付けで株式会社ISAOは株式会社Colorkrewへと社名変更しました。 控えめに言って、社名を変更するのってめちゃくちゃ大変でした。。。 この1つのブログに書き切れるはずはないので、落ち着いたら**「社名変更大変だったシリーズ」**でも書こうかと思いますが。笑 無事、社名変更を迎えられたということで、今回は少しだけブランディング目線で社名変更ストーリーを語りたいと思います。 「社名を変えないか?」 けいじさんが社内に社名変更をしないかと問うたのは去年11月頃。 ザワザワザワ…。ザワワ…。 とにかく社内はザワつきました。 もちろん、ザワつくだけで収まるわけもなく、社名変更するか否か、議論は続きました。 (この激論だけでも詳しく話したら1つ記事が書けそう…。笑) そして、検討の末、答えは**「GO!」**。 社名変更しようと決まってすぐに、ブランディングプロジェクトのリーダーである私は、けいじさんにこう問われました。 「社名変更までに何カ月あればいける?」 もちろん、社名変更なんてこれまで経験のない私には全く想像がつきませんでした。 ブランディングメンバーと相談し、出した答えは、 「新社名が決定してから3ヶ月、準備期間をください。」 そして、すべてが動き出しました。 Rename ISAO Project発足 社名変更するって言って、誰がどうやって決めていくのか。 ISAOは部署もなければ、上司もいないバリフラットな組織。 すぐにこの新社名に関するプロジェクトの参加希望の呼びかけがありました。 そして、すぐに有志で10名のメンバーが集結しました。(こういうところがさすがバリフラットやなぁとバリフラの素晴らしさを感じます。) 業種もバラバラで、営業・デザイナー・マーケター・エンジニア、広報、労務、海外メンバーなどなど、とにかく色んなプロジェクトからメンバーが集まり、どんな名前にしていくか、どう決めていこうか、みんなでブレストが始まりました。 このプロジェクト内容もまた落ち着いたら書こうと思いますので、今回はこれで割愛しておきます。 なぜ、Colorkrewは生まれたのか。 私たちは今日から**Colorkrew(カラクル)**になりました。 この社名の誕生秘話も、ほんとに紆余曲折ありますが、「Colorkrew」というこの社名に込めた想いは強く、CI(コーポレート・アイデンティティ)について、ここでは語り尽くせません。 今回、リニューアルしたコーポレートサイトに特設ページを作ったので、こちらをまずはご覧になっていただければ嬉しいです。 社名変更について➡ https://www.colorkrew.com/about/colorkrew/ ブランディングPJのこだわり 今回の社名変更に関して、ブランディングプロジェクトとして強くこだわったことがあります。 それは**『ISAOからColorkrewにリブランディングするものをすべて内製で創る』**ことでした。 創業20年というISAOの歴史、アイデンティティをColorkrewとして新たにリブランディングさせるために必要なのは、まず、これまで大切に培ってきたISAOミッション、ビジョン、スピリッツ、また目には見えづらい企業カルチャーやメンバーそれぞれの想いを知り、これらを、言語化し、可視化し、社員全員に一貫したストーリーで共有し浸透させていくこと。 そして、Colorkrewとしての存在意義や理念、それを実現するための手段としての事業展開やプロダクト・サービス。 これらすべてをビジネス全体としてデザインし、世に展開させていくことがブランディングPJTの役目だと。 とにかくがむしゃらだった、この数ヶ月。 私たちは自分たちの手でColorkrewを創造しました。 こうやってブログを書いている今もまだ実は、社名変更作業でやらなければならないことは終わっていません。笑 なので、また次回のブログで熱く語らせてもらいたいと思います。 社内メンバーだけで完成させたこのColorkrewムービー。 ぜひ、見てください。 ▼Change ISAO to Colorkrew.
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  • 新卒が社長をコーチに指名!?100%やりきる強さ

    こんにちは!ブランディングプロジェクトのだーはらです。 春は出逢いと別れの季節。この春は、新型コロナウイルスの影響もあり多くの規制の中ではありますが、新たな門出を迎える方々も多いのではないでしょうか。 みなさんは、どんな土地で、どんな職場で新しいスタートを切るのでしょう。 明日からISAOにも新たな新卒メンバーがジョインします。どんな思いで、どんな成長を見せてくれるのか、楽しみです。 暗いニュースが続くなか、少しでも明るく新たな気持ちでいたいと、今回ISAOのコーチ制度に関してインタビューすることにしました。 実際のコーチペアがどんな風に、どんなコーチングを行っているのか。そもそも、なぜメンバーが今のコーチを選んだのか?気になりますよねぇ。 今回インタビューしたのは【新卒×社長ペア】。 昨年新卒で入社し、明日からニ年目の先輩になる田嶋勁士くん。そして、そのコーチに選ばれたISAO代表の中村圭志さん。 果たしてどんなコーチングスタイルなのでしょうか。 徹底的に「基礎」を築く。そしてビジョンを一緒に描く ―けいしくんは新卒者ですが、新卒に対してのコーチングの違いは? 中村:けいしのコーチングは去年の12月からが始まり。 ビジネスパーソンとしての基礎を身につけなければならない時期なので、通常より「基礎」に着目して話し合うことは意識してます。 仕事をしていく中で、納期が遅れることは誰にでもあり得るし、やれないということ自体は仕方ないこともあると思う。 誰だって初めは出来ないことが多いんだから、当たり前なんだけどね。笑 でもそこで焦らず、課題を細かく切り分けて、自分のいまやるべきことに着実に向き合っていくことが大事。 もう数ヶ月経ってるから、けいし自身も変わってきているし、だんだん昔のけいしを忘れてきちゃってるけど。 田嶋:けいじさんのコーチングをきっかけに、新卒1年目を振り返ってみて**「基礎」の大事さを痛感しました。** インターンをしていた頃は意欲的に仕事ができていたと思うのですが、入社して正社員になってからは仕事の内容にさらに責任が伴うようになり、業務の範囲も広がるなかで上手くいかないことが多くなってきて、みんなはアドバイスをくれるのに、なにから手をつければいいのかわからなくなっていました。 「◯◯をしないように気をつけます!」、「◯◯を意識します!」などと何度も宣言しているのになかなか出来ずにいる自分が嫌いになりそうでした。 そして、入社をしてからある程度時間が経った頃、いつのまにか頭の中がぐちゃぐちゃになっていました。 中村:だからまず、出来ることからやろうってところから始めたんだよね。 俺自身、仕事って人間を成長させてくれる機会があると思っていて、出来るようになっていけば面白いし、だんだんカッコよくなってくるし、こんなに良いことはないと思う。 仕事を通じて仲間もできて、給料ももらえて、仕事ができるようになれば給料も上がる。 でも、ぐちゃぐちゃになっている時はそんなことすら考えられない。 だから、一回整理して**「仕事をすることは自分にとって素敵なことだな」**という状態までもっていきたいなと。 もともとはそういうイメージはあったと思うんだけど、当時のけいしはそのへんが絡まって混乱しているように見えた。 田嶋:特に、自分と向き合うことすら忘れかけていたんです。 そんな自分を振り返ると、ほんとに情けないです。 中村:それから根っこにある部分としては、将来的に自分がどんな人間になっていきたいのか、中期的なビジョン、自分のペルソナを考えようと。 それをどう表現しようかと話し合った。こういう人になりたいっていうのをとことん話した。 仕事だけでなく、**「人としての在り方」**をまず言葉で表してみようと。 田嶋:けいじさんとこういう話をたくさんした結果、自分自身で出した答えが**「カッコよくていい奴」**です。 中村:これが決まると、仕事においてもプライベートにおいても、とにかくこれに対して今自分がやっていること、考えていることはそれに向かっているのか?っていう考えが出来るようになる。 色々な判断をしていく場面で、これは**「カッコよくていい奴」**がやるべきことかを常に自分自身に問いかけようと。 人によって「カッコいい」の定義は違う。俺自身も人生の決断の軸は「カッコいい」で決めてるけど、けいしとはきっと定義は違う。 俺は決して見かけでけはでなく、自分のポリシーから見て「カッコいい」のかどうかを軸にしている。 もしかしたら他人から見て無様に見えることもあるかもしれないけど、とにかく自分の中での「カッコいい」に忠実に判断をしてきた。っていう話をしていく中で、**けいしの「カッコいい」はなんだ?「いい奴」ってなんだ?**ってどんどん話を膨らましていった。 田嶋:自分は、「いい奴」と「カッコいい」は分けて考えています。 「いい奴」は他人の気持ちを考えてあげられる人。「カッコいいやつ」は考えたうえで行動に移せる人だと思っています。 中村:行動は無理やり変えられるけど、思うことはなかなか変えるのは難しい。「心の鍛錬」が出来なきゃ「いい奴」にはなれないからね。 最初の頃の面談は、こういうことを徹底的に話し込んだ。 この基礎が決まったら、あと考えるのは自分自身。とにかく自分に問いただすこと。 俺の役割はけいしが忘れてそうな時、横から「けいし、それカッコいいのか?」っていう人。 あとは、認識していかなければならないことや、考えなければいけないことを抜けなくするために、こういうフレームワークを使って考えてみればどうか?って提案するのが役割だと思う。 コーチに社長を選んだ理由 ―けいじさん(企業のリーダー)をコーチに選んだ理由は? 田嶋:当時、自分には「環境の変化」が必要だと思っていました。 その手段として「コーチの変更」を選んだのがきっかけです。 元々、ISAOのみなさんは自分が失敗してしまったり落ち込んでいるときに、アドバイスをたくさんくれていました。
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  • 営業も技術も。最強プリセールスエンジニアの未来とは

    こんにちは!ブランディングプロジェクトのだーはらです! 新型コロナウイルス感染拡大が続くなか、ISAOでは全日リモートワーク推奨になり、私もここ連日リモートで仕事をしています。 もちろん、この記事も在宅で書いています。 リモートワークであっても、社内SNS「Goalous」でコミュニケーションも取れますし、テレビ会議でいつものように会話だってできているので業務にそこまで支障はありません。 が、しかし! 会社にいて雑談の中から生まれるコミュニケーションや新たな発見が好きだったりもするので、少し寂しさも感じつつ(ただの淋しがり屋。笑)、今回はISAO歴20年、プリセールスの片貝 力也さんにお話し伺いましたっ! 年齢不詳!?ISAO歴20年の片貝さん 原田:私的に片貝さんはかなり年齢不詳なんですが…笑 ISAO歴がめちゃくちゃ長いとのことですが、新卒からISAOですか? 片貝:あはは。ほぼそうですよ。今44歳なんで。 ISAOに来る前はベンチャー会社にいて、そこからISAOへ常駐していたんですが、2004年にISAOに移籍しました。 原田:なるほど!常駐を含めて20年というわけですか。じゃあ、ISAO創業メンバーとほぼ変わらない社歴なわけですね! 片貝:そうですね。 原田:常駐されていた頃は、エンジニアとして?? 片貝:はい。インフラ側の技術メンバーとしての役割でした。その頃はクラウドとかなかったので、オンプレミスの時代ですね。 原田:インフラエンジニアからプリセールスになったきっかけはありますか? 片貝:プリセールスになったのは、適材適所って感じでした。 当時、インフラメンバーは、私入れて数名だったので、それぞれ得意な範囲を受け持つような体制に自然となりました。 原田:なるほど自然とそういうチーム体制になっていったんですね。 その常駐の4年も含めたISAOの20年間という長い期間、一番の苦悩とかはありましたか? 片貝:業務的な話でいうと、オンプレミスの構築から時代がクラウドに変わっていった2010年あたり。そこがポイントだったと思います。 原田:2010年といったら、ISAOの当時の親会社も変わったタイミングでもありますよね。 片貝:そうですね。その辺りから世の中的にもクラウドが利用され始めて。 当時、お客様の方から「ISAOってそういうのできるの?」ってお問い合わせが増えていくなかで、クラウドの知識なんてないので普通に物理のサーバーの提案を持っていったことがあって。 お客様にがっつり怒られるという事態が起こったのがきっかけで、「これはだめだ!」って、手探りでクラウドの構築が始まったっていう時代です。 原田:その時代にはクラウドに強い人とかいたんですか? 片貝:いや、全然いないですよ。他の人もそうだし、自分もクラウドなんて触ったことなかったですからね。 だからその時代の変化に対応することには苦労しました。 営業も技術も。幅広い役割だからこその弱点 原田:片貝さんは、ずっとプリセールスをされているということですが、具体的にどういうことをされていますか? 片貝:元々、営業をしていたこともあったんですが、その中での業務は、お客様のところへ行って技術的なことをお話して要件をまとめたりするような役割が多かったんです。 例えば、内容にもよりますが、営業と技術メンバーが一緒にお客様のところに行くのを、一人で行って技術的な要件もある程度まとめて提案をしてくるというような感じですかね。 原田:なるほど!営業もして、技術的なお話もできる一石二鳥な人材ですね!? 片貝:ISAOの中で、そういう立ち位置の人間はあんまりいなくて、明確にどこからどこまでやるっていうのは決まっていないんです。 ただ幅広く業務をやる感じですが、フロントに出ていくメンバーの中では一番営業よりのプリセールスです。 逆にいうと、技術に特化は出来ていないということです。 原田:でも、それってすごく強みに感じるのですが。 片貝:うーん、今自分自身はすごく中途半端に感じているので、ここ数年はもう少し技術よりにシフトし始めています。 原田:それはどうしてですか? 片貝:自分一人でお客様ともっと深く具体的なお話ができるようになるには、やっぱり直接触ってないと話にならないので、クラウドの環境に関しては、自分でも実際に構築にも携わるようにしています。 原田:実業務でも技術的なタスクが増えていますか?? 片貝:そうですね。現在は赤川さんと一緒に大きめの案件を対応しています。 とはいえ、契約的な面では営業としてお見積り作ったり、クラウドの環境の構築や、障害対応もするのである程度一連のことはやっています。 原田:なるほど。プリセールスの中でも片貝さんみたいなポジションの人がいるからこそ対応できる案件もあるわけですね**!** 一人である程度網羅できるって強みですね! 片貝:ただ、やっぱり最新の技術的なこととか、より細かいセットアップなどは技術のメンバーがやったほうがもちろん安心してできますよね。そこが自分の弱点でもあります。 原田:でもその弱点はISAOのチーム力でカバーできているってわけですね。 オールラウンダーの挫折と成長。そして未来 原田:この20年間で、大きな挫折とかはなかったですか??
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  • ISAO流忘年会 in2019

    2019年のラストブログを飾らせていただきます、ブランディングプロジェクトのだーはらです! ISAOに夏からジョインした私が真っ先に課せられた重大任務… そう、『忘年会幹事メンバーにジョイン』。 ということでやり切りました!! 毎年恒例、このISAO大忘年会の裏側から当日まで、包み隠すことなくレポートしたいと思います!笑 テーマは『1999年』×『20th Anniversary』 ISAOは今年で創業20周年を迎えました! 昨年は社外での開催でしたが、今年は出来るだけ多くのヒトに参加してもらいたいという想いで社内開催に。 テーマは創業年である**「1999年」と「20周年」**ということで、会場の装飾はこんな感じに♬ ちなみに当日の音楽ももちろん’99年縛り。 今年に関してはコスプレの縛りはなかったのに、幹事であるJINさんだけは朝から気合入ってました。 [caption id="" align=“alignnone” width=“800”] #オフィスdeドゥラグ[/caption] 忘年会スターティン!! 今年MCに選出された、ISAOの新入社員、TT兄弟ことTAKUMI&TAJIMAの渾身のコントからスタート!! 乾杯の発声は、もちろんこの方Professional Party People日本代表のJINさーん!! 数年前の忘年会に参加いただいた、マコ太郎さんもサプライズゲストとして登場!! マコ太郎さんのYouTube再生回数は1万回を超えているとか…笑 シャンパンでみんなで乾杯~? 豪華なお食事ラインナップ 忘年会の楽しみの一つのでもあるお・しょ・く・じ。 毎年、こだわりのラインナップという話を聞いて、ケータリング担当を任された私はプレッシャー大っ!! 装飾&ケータリングの心強い味方ALO Partyさんのご協力のもと、男性陣が多いISAOメンバーの胃袋をがっつり掴めるラインナップにしていただきました。 ローストビーフ、七面鳥、出張寿司やおでん屋台は海外メンバーにもとっても好評でした(^^)/ スペシャルコンテンツ その1~いきなりヒデーキ~ とあるステーキ屋の社長自ら、A5ランクの黒毛和牛の塊を持って出張ステーキに来てくださいました!笑 この最高級のどでかいお肉の塊に包丁を入れたヒデキさん。めっちゃくちゃ嬉しそうでした。(10㎝以上⁉の厚さでこの後、焼くのが大変だったことはここだけのお話…笑) でも、味は最高級!! 何種類ものソースも作っていただいて、ヒデキ社長ありがとうございました! スペシャルコンテンツ その2~マモビズチャレンジゲーム~ ISAOの自社サービスMamoru BizのQRコードを使った、Mamoru Bizチャレンジゲーム!! 参加者たちはとにかく会場にあるQRコードをGETして、ポイントが高かった人に豪華賞品が当たるとのことで、みんな本気で探す探す。笑 [caption id="" align=“alignnone” width=“800”] ベビちゃんのおでこにQRコード発見!![/caption] スペシャルコンテンツ その3~季節外れの流しそうめん~ ISAOにはキッチンがあるので、たまに誰かがランチを作ってたり、みんなで食べてたりするのですが、そういえば夏に、「オフィスで流しそうめんとかいいよな~」なんていいながら冷や麦食べてたな~と思い。
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  • 時代に合わせたクラウド設計、ハイブリッドクラウドで新たな挑戦

    こんにちは!ブランディングプロジェクトのだーはらです! 2019年も残すところ数日。 ITリテラシーを高めるべく、年内ギリギリまでエンジニアさんに絡んでみようということで… ISAOのエンジニアにインタビューしてみよう、第二弾! 今回は、インフラエンジニアの鮫島 忠文さんにお話し伺いました! オンプレからクラウド時代へ。流れに乗った転機 原田:鮫島さん、ほとんどお話したことないのに突然すぎてなんですが、インタビュー前に一言いいですかね?お肌めっちゃキレイですね! 鮫島:突然すぎですね。でも、ありがとうございます。たまに言われます。笑 原田:すいません。キレイすぎてびっくりして言わずにいられませんでした。 では、本題に入りますね。鮫島さんの仕事内容は前回インタビューさせてもらった粕谷さんと一緒ですか? 鮫島:はい。MSPプロジェクトは設計・運用・監視の大きく3つのチームに分かれているんですが、僕はその中の設計チームにいます。お客様から注文いただく前から営業と一緒に同行して、ヒアリングして設計に落とすのがメイン業務です。 クラウドでお客様のシステムを立ち上げるところまでを設計チーム、動いた後は運用・監視チームに引き継いでいくという流れになってます。 原田:なるほど。前職でも同じようなお仕事されていたんですか? 鮫島:前職は元大手製造系システム子会社にいて、いわゆるSlerですね。業務的にはプリセールスのような立場だったので今と大きな違いはないですけど、使っているプラットフォームがクラウドかオンプレかという違いですかね。 原田:大手企業のSIerとして活躍されていた人が、なぜISAOに転職しようと思ったんですか? 鮫島:そうですねぇ。これからはクラウドがくるって時代だったのに、前の会社は自社でデータセンターを持っていたので色々と制限があって、クラウドを扱えない環境だったんですよ。でも個人的にはクラウドやりたいなって思い始めていて。その当時、ISAOは主要な3大パブリッククラウド扱ってる企業だったので。 僕はリファラル採用なんですが、そういうタイミングで声かけてもらったのがきっかけで転職に至ったって感じですね。 原田:なるほど。マルチクラウドを扱うISAOが転職の大きなポイントだった以外に、ISAOを魅力に感じたポイントはありましたか? 鮫島:ほかに感じたことはスピード感持って仕事をやっている部分に惹かれましたね。 バリフラットな組織だから、なおさら決定権の違いとかもあったと思いますけど、元々日系企業にいたので何か作業するにもいろんな承認をもらわないといけないとか、アクセスするにも何日も前に申請をあげてから仕事しないといけないとか、、、なかなかスピード感持って動けない環境にいたので。クラウドやっていく中では、そういうスピード感がある企業いいなって思いましたね。 原田:確かにISAOは何するにも早いですもんね。あとはリファラル採用だったのもポイントでしたか? 鮫島:それもあります。がっつり転職活動するのって結構労力要りますからね。ありがたかったです。当時ISAOに来ないかと声をかけてくれた彼とは実はオンライン上の友達だったんですよ。最初は顔も知らなかったんですけど。 原田:えー?オンラインで??じゃあ顔見知りじゃなったんですか! 鮫島:そうなんですよ。でも、彼とは高校の時からの知り合いなんで、だいぶ長いんですけどね。 原田:すごい。オンラインで知り合った仲間でリファラル採用って面白い繋がりですね。 鮫島:ですよね。でも、ISAO入ってそんなにゲーマーはいなかったですけどね。笑 原田:ゲームは元々好きだったんですか? 鮫島:はい。多分ISAOの中でも一番やってるんじゃないですかね。 原田:PCもスマホもですか?今一番やられているのはなんですか? 鮫島:今はオンラインゲームだとファイナルファンタジーです。 原田:出ました、ファイナルファンタジー! 私、エンジニアさんのインタビュー始めるようになって、どうもエンジニアさんの思考とかすごく気になって仕方ないんですが。 どうしてインフラに興味湧くの?とか。ゲームが好きだったとかも関係あるんですかね? 鮫島:あはは。笑 僕の場合はですけど、もしかしたらゲームは少し関係あるかな? 昔ファミコンとかあったじゃないですか。ターンを進めるとか育成ゲームみたいなそうゆうゲームをパソコンでやると通常1時間かかるところが20分で済む!みたいなとこからパソコンに興味湧いて触り始めたんですよね。 原田:なるほど。そういうところから興味が湧くのかぁ。 鮫島:だってパソコンだと他人の倍以上のことが出来るわけですよ。生産性高いじゃないですか。笑 原田:高校生の時から生産性を求めてたんですかっ! 鮫島:いや、それは小学生の時からかな? 原田:小学生!? 鮫島:そう、だってフロッピーのゲーム時代ですよ。 その辺からパソコンに興味持った感じですね。 原田:フロッピー!!響きが懐かしすぎますね。 鮫島:それで大学は情報技術系に進んだんです。授業でプログラミングとかやってたんですけど、全く思うように動かなくて…。きっと僕にはゲームは作れないんだなって思って…。 であれば、パソコンのキッティングとかは趣味でもやってたし、そういうのは出来たのでインフラの方に進もうかなって。 原田:やっぱりエンジニアさんは趣味でも何かしらやってらっしゃるんですね~。趣味半分仕事半分的な感じですか? 鮫島:いやぁ、ISAOのエンジニアは好きでやってる人が多いと思いますけど、SIerの中では家では全くPCに触れない人とかもいましたよ。僕にとっては趣味の一部みたいなものなんで、仕事楽しいですか?って聞かれたら、楽しいしかないですね。笑 原田:でも、趣味といえる一部を仕事に出来るってほんと一握りだと思うので、ほんとに素敵だなと思います。
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  • 年齢は関係ない。成長し続ける還暦トップ営業マン

    今年、還暦を迎えた小泉 介更さん。 元々、中間管理職「事業部長」であったのに、現在はなんと営業のトップ成績を取り続けるスーパー還暦営業マン! そんなISAOの営業チームを強く、また自分自身もトップを走りつづける小泉さんに終業後、インタビューさせていただきました! 年齢は関係ない。成長し続ける還暦トップ営業マン [caption id="" align=“alignnone” width=“800”] 終業後、社内のキッチンスペースでお疲れ様の一杯とともにインタビュースタート♬[/caption] 原田:小泉さん、改めて還暦おめでとうございます! 小泉:ありがとうございます! 原田:今年、会社で還暦パーティーを開催されていましたが、改めてご自身の気持ちの変化やなにか感じられたことはありましたでしょうか? 小泉:あのね、そもそもね!還暦ってなにって話になっちゃうんだけど。笑 還暦って十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせが60種類あって、干支が一回りするのが60年。だから人間は60歳も生きれば上等という時代の産物なわけですよ。でもね、今は人間100歳生きる時代だから、本当は十干と十二支に裏表つけて120年で還暦にしたほうがいいと思うんだよ。 原田:120歳!!だいぶ長生きですねっ! 小泉:120年生きればさ、**「120歳よくそこまで生きましたね~」**ってなるでしょう? 120年もあれば、だいたいの人がそこに収まるだろうしね。 60歳で還暦というシステムはもはや現代には合ってないですね。笑 原田:なるほど。60歳なんてまだまだだぞって感じなわけですか。 小泉:そう、だから自分ではあんまりピンとこないんだけど。ただ、せっかく「還暦」と言ってお祝いしてもらえるんだから、生まれ変わった気持ちで、もう一回人生やろうかなって気持ちにはなりましたね。 原田:なるほど~。新たな気持ちになったわけですね。 中間管理職「事業部長」を捨てたワケ ** ** 原田:小泉さんは、50代で営業職に変わられて、今やTOP営業マンになった伝説のお方だと聞きましたが、何歳のときに営業職になられたんですか? 小泉:僕は56歳ですね。なんだかんだ4年経ちましたねぇ。 原田:4年ですか~。営業職の前に、小泉さんは役職のあるポストにいらっしゃったと伺いましたが。 小泉:そうそう。「事業部長」っていうとても素敵な役職をいただいていて、ザ・中間管理職で生きていましたよ。笑 原田:その役職をいらないって言いだしたのが小泉さん?? 小泉:いや、僕が言い出したわけではないんだけど。ちょうどバリフラットができる2015年、たまたま当時の親会社のインドの子会社に6ヶ月間赴任することになったんですよ。 原田:えー、そうなんですか!小泉さんがインドに行かれていたのは初耳でした! 小泉:あ!そもそも僕がインドに行くことになったのはね、当時、ISAOでこれから色んな関連会社とか機会があるごとに海外に人材を出そうという動きがあって、若手がちらほらシンガポールだとか色々海外に行き始めてたんですよ。で、代表の圭志さんとたまたま飲んでいた時**「今頃の若い奴らは海外にいけていいよな~」**って話をしたことがあって。 そしたら、飲んだ翌日にインド行きが決まってたんだよ。笑 原田:えー?翌日に決定っ!? 小泉:そうそう。**まさか昨日の今日で!?**と一瞬思ったけど、まあでも、ISAOっぽいでしょ。 原田:そうですね。笑 インドには営業としていかれたんですか? 小泉:いや、営業としてじゃなくて、人事というか管理部門みたいな役割で。 当時、インドは経済成長が著しくて転職率が高くて、定着率が低い点が課題になっていて。それは評価システムとかが整備されていないという事情があり、その周辺のガバナンスがきいていない部分の立て直しや教育的な役割で行くことになったんですよ。 原田:なるほど! 小泉:でもね、その前に布石として、ISAOは急に英語を勉強しないといけないって流れになったでしょう?僕も当時、全然TOEICスコアが足りなくて、会社の英語学習補助制度を使わせてもらったんですよ。 50代の僕がね、なんと留学を志す高校3年生とともに肩を並べて勉強するというプログラムに入ったんですよ。 それはもう6週間死に物狂いで勉強したよ。 でも、そのおかげでTOEICスコアが160点くらいUPしたかなー?今ではいい思い出だけどね。 そういうのもあったから、ちょっと海外に行きたいって気持ちも芽生え始めてて。 そんなタイミングで、インド行きのチャンスをもらえたから。有難かったですよね。 原田:なるほど~。努力がちゃんとチャンスを呼んでますね~! 小泉:それで、インド行きが決まってから半年くらいかけて事業部長のポストを若手に託して、僕は役職を引き継ぎ、フリーでインドに飛び立ったわけです。 インドから帰ってきた元中間管理職の無力な自分との闘い 原田:ISAOに戻ってきてからは、元々のポストに戻られたんですか?
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  • 3大クラウドに挑む、インフラエンジニア

    こんにちは!ブランディングプロジェクトのだーはらです! 入社して3ヶ月過ぎ、晴れて試用期間も終わったので、突然ですが**「新人」辞めました(笑)。** とはいえ、まだまだITリテラシーの低さには定評がありますので、ISAOのエンジニアのみなさんにたくさん絡みたいと思っています。 そんなこんなで始めてみました。 ISAOのエンジニアにインタビューしてみよう、第一弾! 今回は、インフラエンジニアの粕谷 司さんにお話し伺いました! インフラエンジニアの粕谷さん 原田:粕谷さんとこうやってお話するのは初めてですが、よろしくお願いします!粕谷さんはISAO歴は長いですか? 粕谷:なんだか、緊張しますね~。こちらこそよろしくお願いします。僕は2012年入社だったかな?なので、今年で7年目になりますかね。 原田:7年目ですか~。粕谷さんが今携わっている仕事内容はどういったものでしょうか。 粕谷:僕はMSPというプロジェクトチームにいますが、主にサーバーの設計・運用・監視のサービスをお客様に提供しているプロジェクトです。 例えば、なにか開発を行っているお客様で、インフラ部分を自分たちですべてやるのは難しい場合など、自分たちのプロジェクトにご依頼いただいて構築し、そこから運用・監視などもやっていくみたいな感じです。 その中で現在は、主に設計の部分に携わっています。 原田:設計の部分というと? 粕谷:設計というのが、例えば、営業メンバーと一緒にお客様からのご要望を聞きに行くときに一緒に同行して、実際にお客様の要望にあった構成を提案したりしています。 原田:なるほど!じゃあ外出されることも多いんですね? 粕谷:そうですね。営業の方ももちろんある程度の技術の知識を持っていますが、より詳しく提案できるのは設計メンバーなので、営業提案時に同席することが多いです。 原田:エンジニアさんは社内にいるイメージでしたが、意外とお客様との対面が多いんですね。 「接客を極める!」と宣言した学生時代 原田:粕谷さんは、実は意外なご経歴をお持ちと伺いましたが、これまでの経歴を教えてください。 粕谷:意外なね(笑)。僕は大学の時、**「接客を極める!」**と宣言して、かの有名なオレンジ色の看板の牛丼屋でアルバイトとして働いていました。大学卒業した後も特に就活もせず、ずっとアルバイトを続けていたんですが、当時働いていたお店が閉店することになりまして。 その時、改めて**「これはちゃんと考えないと。」**と思い就職を考えたんですね。 大学は技術系の大学だったんで、元々技術には興味はあったんですが、卒業後はなにも技術的なことはしていなかったので、どこかで下積みをしようと思い、ISAOの前に、別の会社で情シスのアシスタントみたいなことを2年くらいやっていました。 家で自分で趣味程度にPCを作ったりしていたんで出来るかなと…。 。 原田:ん?PC作ってたんですか?PCって個人で作れるんですかっ?? 粕谷:んん?PCは作れますよ(笑)? 原田:いや~、趣味でPC作る人って!少なくとも私は出来ないですよ。趣味から技術屋さんじゃないですか! 粕谷:あはは。まぁそういう趣味もあったので、ちょうどPCのキッティングができる人を募集していたその会社に入りました。 その頃は、サーバーなどに触ったりはしていなくて、多少の技術に触れる程度の経験を積んだという感じでしたかね。 ただ、その当時の会社は、情シス部門がインフラも担当していたので、それを見ているうちにだんだんインフラに興味が湧いてきたんです。 原田:あの…根本的な疑問があるんですが。どこをどう見てどうやったらインフラというものに興味が湧くんでしょうか(笑)??最近、ホントにエンジニアさんに興味がありまして。 粕谷:うーん、何でしょう?動いてるシステムの根幹というか土台が見れたりいじれたりすることが面白かったからかな。 もちろん、表にでているサービスも面白いと思うんですが、それを動かすための下地を自分がつくれたらもっと楽しいと思えるからですかね。 原田:なるほど、そういう部分が面白いと思えたら、エンジニアになれるんですかね(笑)。 粕谷:いや、僕の場合はですよ。まぁ、でもそこからインフラに興味がだんだん湧き出して、インフラをメインに携われる職種を探して始めて、ISAOに辿りついたというわけです。 サーバー作りと向き合う日々 原田:それからISAOではインフラエンジニアに?? 粕谷:ISAOに入った当初は契約社員として、監視チームに入りました。 ただ、その頃は知識ゼロの状態だったので、最初は本当に周りには迷惑をかけたかなぁとは思いますが、聞けば誰かしら教えてくれていたので。本当にありがたかったです。 その中で、どんどんサーバーの方に興味が増えていきつつ、アラートとかがでてくるうちに、**「なんでこんなアラートがでるんだろう」って疑問から、「自分でも触りたいなぁ」**という気持ちがどんどん湧き上がるわけですよ。 ISAOはクラウドの検証環境を個人で使えるようになっているので、それを使って自分でサーバー作りを進めていけるんですが、その頃は自分で調べたり、周りに教えてもらいながらサーバー作りを練習しまくってましたね。 原田:サーバー作りの自主練ですかぁ。 粕谷:そうです。その練習の中でも、自分でできない部分を他のメンバーに教えてもらったりしていました。 そうやっていく中で、監視チームが使う情報共有ツールみたいなのをサーバーに作ったりしていたら、実際の業務で採用されて。 そうしているうちにメンバーの方が推薦してくれて、**「社員にならないか」**と声をかけてもらいました。 それをきっかけに監視チームを抜けて、本格的にインフラエンジニアをやり始めて、今に至るという流れですね。 原田:なるほど。ちなみに粕谷さんはGCPの資格をお持ちということですが、そもそもこの資格はなんですか? 粕谷:いわゆる3大クラウドと呼ばれるAmazon、Microsoft、Googleがあって、その中のGoogleのクラウドが**GCP(Google Cloud Platform)**と呼ばれていて、そのスキルがあることを証明する資格ですね。
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  • エンジニア経験0からの急成長。「最優秀エンジニアアワード」の栄誉に輝くまで

    こんにちは。ISAOの新人PR担当、原田です。 ISAOに入社して早2ヶ月半経ちますが、私が社内のNEWSを配信する仕事で初めて携わったものが「トレンドマイクロ パートナーエンジニアアワード 最優秀賞」受賞に関するものでした。 正直、私はエンジニア界隈のことについてはほぼ無知に近いのですが、このタイトルを聞いたとき「ISAOにはすごいエンジニアがいるんだなぁ。お話聞きたいなぁ」と純粋に興味が湧きました。 しかも噂に聞くと、元々エンジニアではなかったとか。 エンジニアじゃなかった人が、エンジニアの最優秀賞受賞できるってどういうこと?とさらに興味が湧きおこりました。 と、いうことで今回はISAOのセキュリティプロジェクトリーダー西郡さんにインタビューしました! エンジニア経験0から最優秀賞アワード受賞までのヒストリー [caption id=“attachment_4351” align=“alignnone” width=“800”] トレンドマイクロ パートナーエンジニアアワード 授賞式にて[/caption] 原田:西郡さん、改めまして「トレンドマイクロ パートナーエンジニアアワード 最優秀賞」受賞おめでとうございます。 西郡:ありがとうございます。 原田:私がISAOにきて初めてニュースリリースを出したのがこのアワードについてだったので、すごく印象に残っています。 しかも個人アワードは今年から始まったんですよね?初年度で最優秀賞受賞って本当にすごいなって。 西郡:ありがとうございます。私が携わってるプロジェクトでは、いわゆる「サイバー攻撃」からお客様のサーバーを守るサービスを提供しています。そこでトレンドマイクロ社の「Deep Security」という商品をお客様のサーバーに導入して監視運用しているのですが、その実績を評価いただけたようです。 元々ISAOは「くらまね」というクラウドを中心としたサーバーマネジメント事業をやっていて、そちらで多数の実績があり、高評価をいただいています。そこから発展して、サーバーの上のアプリケーションまでセキュリティ対策をしてほしいという声から生まれたプロジェクトですね。 なので今回、セキュリティ部門の中で賞をいただいたんですが、「Deep Security」の導入の主要な部分を担当していたので、そこを評価いただけたのかなぁと思っています。 エンジニア経験「0」スタート 原田:でも、西郡さんは元々エンジニア職ではなかったと伺いましたが…? 西郡:そうですね。実は、私は元々新卒でゲームプランナーとして働いていたんです。なので、最初はゲームのキャラクターとかストーリー、システムを考える仕事をしていました。 その後、会社を変わってからはWEBプランナーとして働いていました。 どういうサイトをつくろうか、どういうサービスにしてどういう仕組みにすればユーザーが使いやすいかなどを構築する仕事にずっと携わっていました。 WEBプランナーとして、お客様に良いものを提供するのは大前提なんですけど、サイトを作ることに慣れてくると、ビジネスとして事業を収益化させることを考えることが多くなってきました。私はこれもプランナーの仕事の一部と考えてはいるんですが、プランナーとして後半になるとどうやって事業を成り立たせるかを常に考えていました。 原田:そういうことまでWEBプランナーってやるんですか? 西郡:うーん。もしかしたら厳密には一般的なWEBプランナーの定義とは異なるかもしれないんですが、私の考えは、プランナーというのは良いサービスを提供するだけではなくて、最終的に事業をしっかり黒字化させるまでがプランナーだと勝手に定義しています。 原田:経営的な目線まで必要な職種なんですね?お話を聞いているとマーケティング要素なども必要なんでしょうか? 西郡:そうですね。一般的にいうマーケティング要素もありますが、でも実際そんなかっこいいものではなくてやることの取捨選択、そしてその選択を突き詰めていくような仕事だと思っています。 原田:西郡さんの独自の「WEBプランナー」の定義がすごく幅広くて、WEBプランナーという印象がすごく変わりました。 西郡:一般的にはWEBディレクターだったり、WEBプロデューサーみたいにいわれる領域でもあるかもしれませんね。私はプランナーとして、そういう下積みを積んできたので総してWEBプランナーと言ってます。 原田:なるほど~。西郡さんはWEBプランナーだったんですね。 ISAOの「チャレンジングな環境」と「個人の成長」 原田:ISAOならではの「成長環境」を求められる社風がありますが、これまでのISAOの中でのご経歴を教えてください。 西郡:今のセキュリティプロジェクトに関わる前は、WEBプランナーとしてムービーフルPlusという動画配信のプロジェクトに携わっていていました。5年ほど携わって、そのプロジェクトも収益化にまでもっていきました。 原田:それから現在のセキュリティプロジェクトに変わった経緯は? 西郡:特に理由はなかったです。ただ、誘われたからやってみようかなって。その場の勢いでしたね(笑)。 原田:それって、ISAOでいう「個人の成長」のポイントだったんですかね? 西郡:そうですね。私的には全く新しい領域だったので、知識的にはほぼ0からのスタートでした。40歳過ぎてからの大きなチャレンジでしたね。まぁISAOはどんどんチャレンジしていこうっていう環境ですから、みんなそれぞれ頻繁にあると思いますよ。普通の会社だったら部署異動とか色々手続きとかいりそうですが、ISAOはそういうのもないですからね。 原田:そんなあっさり変わったんですか!職種的には大きな変化だと思うのですが、結構不安じゃないですか?エンジニア職って知識とか経験とか必要な分野かなと思ったりするんですが。 西郡:そうですね。普通ではあんまりないジョブローテーションだったかもしれないです(笑)。だから当然、苦労はたくさんありました。ただ、ISAOにはすごく技術力の高いエンジニア集団がいるので、本当に助けられたし勉強させてもらって、なんとかやってこれました。だから今回のアワードもたまたま自分が前面に立っていただけで、個人の力というよりはチーム力あってのアワードだと思っています。 原田:なるほど~。ISAOの他のエンジニアの方にもたくさんお話聞いてみたくなりました!
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  • 【祝・ISAO創業20周年対談インタビュー】これまでの20年、そして次なる20年

    こんにちは。PR担当の原田です。 おかげさまでISAOは2019年10月1日、創業20周年を迎えました。 そして、2019年10月1日は新生ISAOの誕生の日であります。 この20年の間には、会社としての大きな変化はもちろん、2015年には部署や役職、階層をなくした『バリフラットモデル』導入など、組織的にも劇的に変化してきました。 今回は、そんなISAOを創業当時から知るメンバー2名にお話しを伺いました。 対談メンバーは、還暦を越えても尚、バリバリの現役で営業をされている奥野さんとペイメントソリューションプロジェクトリーダー西村さんです。 プロフィール ■奥野 信一郎(1958年生まれ) 1981年 株式会社CSK入社後、1998年『Dreamcast』のISP事業にて技術部門のプロジェクトリーダーとして携わる。2000年株式会社ISAOへ転籍。2010年クラウドマネジドサービスを立ち上げる。2012年からは営業部門に属し、2018年還暦を迎え、現在も営業として日々活動している。 ■西村 辰哉(1964年生まれ) 1988年セガ・エンタープライゼス(現在のセガグループ)入社後、1998年『Dreamcast』のISP事業にて運営部門として参加。2000年株式会社ISAOへ転籍。2004年からセガカラ着メロサービスの担当となり2012年のサービス終了まで担当。2013年からインフラ系エンジニアとして課金決済サービスを担当し、現在は課金決済サービスのプロジェクトリーダーを務める。 1.ISAOの20年という歴史を振り返る ―10月1日、ISAOは創業20年を迎えました。そして、また新ISAOの誕生の日でもありますが、この20年間を振り返ってみていかがでしょうか。 西村: ISAOの創業は1999年なんですけど、ドリームキャストの事業は1998年からで、確か私自身はその年の秋くらいから関わったんですが、もうその時には奥野さんは責任者として数ヶ月前から既に関わっていらしたんですよね? 奥野: 1998年の夏からかな。当時「誰がSEGAにいくか」っていうタイミングがあって、みんながどうする?ってなってる中で「え、俺?」って感じで突然決まって(笑)。 当時は、常駐委託という形でいったのかな。それから3ヶ月後にドリームキャストをリリースするって話になって…そこから歴史が始まったんです。 ドリームキャストのインターネットサービスの運営会社として誕生したISAO 勤務場所は当時、SEGA本社があった大鳥居というところだったんですが、私はプロジェクトリーダーとして携わっていってました。 そこにはドリームキャストのためのネットワークを作るチームとドリームキャストのプログラムを作るチームが集結しました。 私たちが経験している勤務場所としては、その大鳥居がスタートで、六本木、五反田、四谷、そして今の秋葉原なんですけど。 四谷の後に、三茶かな?って思ってたんですけどね。 数字並びで六・五・四って続いてたから(笑)。 西村: おぉ、それ、意識したことなかったですけど、今言われて気づきました。すごいですね(笑)。 奥野: 六本木には2001年くらいまでいたのかな?2001年~2006年までが五反田時代。2007~2011年が四谷で、震災後から今の秋葉原オフィスだから、今のオフィスが1番長くなりましたね。 西村: 五反田時代が一番長い感覚がありましたけど、今のオフィスが1番長くなったんだなぁ。 奥野: 六本木から五反田の時代はほぼドリームキャスト中心の時代だった。それから会社の場所が移るごとに主軸のプロダクトが変わっていった感じがあるね。 西村: 五反田に移ってからはインターネット事業もやっていたけど、1番稼ぎ頭は着メロでしたよね。 奥野: そうそう。携帯電話も歴史を追ってすごく変わってきてる時代だね。ドリームキャストが出た当時って、インターネット自体も珍しかったし、携帯電話を持ってる人もすごく少なかったし。持っててもめちゃくちゃ大きいやつね(笑)。 西村:アナログ携帯の時代ですからね。 奥野: それからiモードのサービスが登場して、その頃はすごい儲かった。でもそれも時代とともに廃れていくわけですよ。 それから四谷時代はきつかったね~。 この時代は色々な事業を売却し始めた時代でした。 親会社が傾き始めて、本当にこの先どうなるんだろうっていう時代だったんですよ。当時、流行った言葉で**「ダッチロール」**って言われていた。どこに向かっているのか分からないそんな状況だった。 西村: 飛行機事故のやつですよね。グルグル回って不安定な飛行。まさにISAOもそんな状態だった。 奥野: ちなみに西村さんとは今は密な業務のつながりはないんですが、当時のISAOはECサイトとかの事業もやっていて、セールがあるんですよね。サマーセールとか年末年始セールとか。当時はクラウドじゃなかったんで、普通のサーバーを使っていたから、サーバーがダウンしないかどうか確認しなければいけなくて。 私と西村さんは当時、必ず五反田のオフィスにいてサーバーの見届け役だった。
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